さあどっち?
僕はダンスだと思う。
綿密に計算して、
一枚のタペストリーに織り上げるような感覚から、
油絵の方が近いのではないか、と考えるかも知れない。
緻密な筆のタッチや、
時に荒々しいタッチが使えるところや、
あるいは何度も書き直して筆を入れ直す感じが、
油絵とストーリーの共通点であるとは思う。
だが、
油絵には時間軸がない。
時間をかけて変化することや、
テンポ感や、テンポコントロールや、転調がない。
ノリ、予測、予測通りに決まる快感もない。
小さくなったり大きくなったり、
速くなったり遅くなったりしない。
「なぜ動くのか」という動機もない。
あるいは、
複数の人間のダンスも油絵にはない。
複数の人間が、
あたかも全く異なる意思や目的を持っているのだが、
その交錯したり絡み合う様が、
まるでひとつの美しい模様のように、
舞踊のように振り付けされているわけではない。
ストーリーとは、
複数の人間の間にある揉め事と、
その解決(昇華)である。
それはまるで、
振り付けられたダンスのように、
有機的に動いていく。
僕はつまり、
ストーリーを動的芸術だと思っている。
静的芸術ではない。
シナリオは紙に書かれた静的なものであるが、
その表現内容は動的なものなのだ。
楽譜と同じだ。
フィルムは、24枚の静止画を連続的に上映することで、
静止画だったものに動きを感じること
(仮現運動)である。
そういう意味では、
フィルムこそが、静的なものから、
動的なものを生む道具だ。
シナリオは、それの文字版である。
静的な外見から、
油絵のような、緻密で構造的なものを想像するかもしれない。
例えば建物のような、
堅牢で迷宮で建築理論によって建てられた、
永久不変な城のようなものを。
そうではない。
自転車が倒れそうで倒れないとか、
フィギュアの三回転半ジャンプとか、
こんにゃくがたわんで元に戻るとか、
フラッシュモブとかに、
ストーリーは似ているのである。
動的な軌跡を描く手段が、
紙とペンしかなかったから、
我々はストーリーを紙に書くだけだ。
3Dペイントのように、VRゴーグルをかけて、
4Dで軌跡を描けるようになれば、
その動的軌跡を描けるようになるかもしれない。
しかしそんなことすることなく、
紙とペンでストーリーは書ける。
我々が、静止した紙と文字から、
動的なストーリーを頭の中で再現できるからだ。
ストーリーは油絵よりダンスに似ている。
我々は絵師ではなく振付師である。
2021年05月17日
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