2021年05月17日

ストーリーは油絵に近いか、ダンスに近いか

さあどっち?


僕はダンスだと思う。

綿密に計算して、
一枚のタペストリーに織り上げるような感覚から、
油絵の方が近いのではないか、と考えるかも知れない。

緻密な筆のタッチや、
時に荒々しいタッチが使えるところや、
あるいは何度も書き直して筆を入れ直す感じが、
油絵とストーリーの共通点であるとは思う。

だが、
油絵には時間軸がない。

時間をかけて変化することや、
テンポ感や、テンポコントロールや、転調がない。
ノリ、予測、予測通りに決まる快感もない。

小さくなったり大きくなったり、
速くなったり遅くなったりしない。

「なぜ動くのか」という動機もない。

あるいは、
複数の人間のダンスも油絵にはない。

複数の人間が、
あたかも全く異なる意思や目的を持っているのだが、
その交錯したり絡み合う様が、
まるでひとつの美しい模様のように、
舞踊のように振り付けされているわけではない。

ストーリーとは、
複数の人間の間にある揉め事と、
その解決(昇華)である。

それはまるで、
振り付けられたダンスのように、
有機的に動いていく。


僕はつまり、
ストーリーを動的芸術だと思っている。
静的芸術ではない。

シナリオは紙に書かれた静的なものであるが、
その表現内容は動的なものなのだ。
楽譜と同じだ。

フィルムは、24枚の静止画を連続的に上映することで、
静止画だったものに動きを感じること
(仮現運動)である。
そういう意味では、
フィルムこそが、静的なものから、
動的なものを生む道具だ。

シナリオは、それの文字版である。

静的な外見から、
油絵のような、緻密で構造的なものを想像するかもしれない。
例えば建物のような、
堅牢で迷宮で建築理論によって建てられた、
永久不変な城のようなものを。

そうではない。

自転車が倒れそうで倒れないとか、
フィギュアの三回転半ジャンプとか、
こんにゃくがたわんで元に戻るとか、
フラッシュモブとかに、
ストーリーは似ているのである。

動的な軌跡を描く手段が、
紙とペンしかなかったから、
我々はストーリーを紙に書くだけだ。

3Dペイントのように、VRゴーグルをかけて、
4Dで軌跡を描けるようになれば、
その動的軌跡を描けるようになるかもしれない。

しかしそんなことすることなく、
紙とペンでストーリーは書ける。

我々が、静止した紙と文字から、
動的なストーリーを頭の中で再現できるからだ。


ストーリーは油絵よりダンスに似ている。
我々は絵師ではなく振付師である。
posted by おおおかとしひこ at 00:04| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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