お話の醍醐味は、ここにあると思う。
ぱっと見て分かることは、Twitter140字でも行けるだろう。
逆に何年もかけてやるような深い趣味のことは、
それだけの時間が必要だ。
よくできた話は、
たかが二時間程度で、
何年もかけないと分からないような、
とても深い面白さに、
素人の人を連れて行けるか、
だと僕は考えている。
ビリヤードのナインボールを題材にした、
「ハスラー」(2ではなくモノクロの1のほう)
をよく僕は例にあげる。
この映画では、ビリヤードのルールを教えてくれるのではない。
本当にビリヤードを始める人には、
ルールや道具から教えなければならないが、
映画はそうではない。
ビリヤードを何年もやった人でしか分からない、
「賭けの本質」について描かれるのである。
それは実は全ての勝負ギャンブルにおいて良くある、
「最初は負けたふりをして、
エキサイトするふりで賭け金を釣り上げる。
もうひと勝負してくれ、勝たないと気が済まない。
だから賭け金をこれまでの十倍にしよう。
それでどうだ?と持ちかけ、
本気を出して全額持っていく」
というやり方のことである。
これを負けたふり作戦と呼ぶことにしよう。
ビリヤードの深さとは、
クッションボールでもジャンプボールでもなく、
一通り技術が煮詰まったあとの上級者同士では、
心理戦なのである、
という深みに、観客を連れていくのだ。
もちろん他の勝負ごとのギャンブルでも出来るかも知れない。
ビリヤードはネタに過ぎない。
ビリヤードをやればやるほど、
ビリヤード特有の深みに行くのではなく、
最後は人間対人間の、深みに行くのである、
という深みに、
観客を連れて行くのだ。
だから面白いし、
ビリヤードを知らない人でも楽しめる、
という、二重の面白さが「ハスラー」にはある。
負けたふり作戦という1ネタで、
最初から最後まで見事に通すこの映画は、
「知らない深みへ、
どうやって観客を連れて行くか」
ということの教科書だと言って良い。
説明されて分からないことを、深みだと言ってもわからない。
簡単な説明でわかってしまう本質を、
どう抽出するか、
ということに尽きると思う。
そしてそれが、世界の成り立ちや、人間の深みなどの、
「誰でも分かる深み」の話になっているのが、
理想ということである。
つまりは、ビリヤードはモチーフにすぎず、
テーマは「負けたふり作戦に人はひっかかる」という話だ。
そして、いかにこの作戦がバレないようにするかが、
この映画のエキサイティングな部分になってくるわけだ。
だからこの映画を紹介するとき、
「ビリヤードを題材にしたギャンブラーたちの映画」
とするのは大きな間違いで、
「人を騙すスリリングさを、賭けビリヤードで描く映画」
と紹介しなければならない。
前者だと関係ない人はスルーだが、
後者だと人間の深い部分と関係していることがわかるからである。
(そして殆どの映画紹介では前者になる。あほかっちゅう話や)
ビリヤードと騙すことについてはあくまで例だ。
どの話でもこれは成立する。
140字で話せるような浅い話ではなく、
何年もかけた末にわかった深い話に、
二時間でどう案内できるか?
という話なのである。
その深さが深いほど、
そして誰でもそこへ連れて行けるものであるほど、
あなたの話は優秀である。
つまりは地獄めぐりのガイドのようなものだ。
ガイドは全部わかっていて、
構造も原理も、世界との距離もわかったうえで、
初めてそこに来た人に、
地獄の奥底まで理解させて、
「地獄深いな」と言わせなければならないのだ。
あなたはあなたの描く世界の、
最大のガイドであるべきである。
説明が必要なら時に熱弁しなくてはならないし、
飽きられないように興味を誘導しなければならない。
(たとえば謎やどんでん返しで)
話という料理を食べ終えたときに、
「深いわこれ」となるような、
世界の深さを全員に提供できなければならないのだ。
そのためには、
1. そもそも深いこと
2. それが誰にでもわかるようにガイドすること
3. その深みが面白いこと
が揃っていなければならないだろう。
それが面白ければ「はまる」わけで、
そのはまるものを沼という。
あなたはあなたの描く世界の沼に、
上手に引き摺り込んで、
しかも満足させなければならない。
「ハスラー」を見たら、
どこかで負けたふり作戦を使いたくなるものだ。
なかなかうまくいかないから、
やっぱ人生は深いな、と思うものである。
物語とはつまり、
人生のどこの深みの話なんだ?
ということなのだ。
2021年05月18日
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