主人公を自分(作者)と同一視してはいけない。
それは僕が時折触れる、シナリオの鉄則だ。
主人公を他人と思えるからこそ、
「自分じゃ無理だがその人には出来る」突破法を思いつける。
じゃあその対立者、アンタゴニスト(敵、またはライバル)は?
僕は、そちらこそが自分(作者)で良いのではないか、
と最近考えている。
敵というのは、
初期には強大な力を持ち、主人公を圧倒しているものだ。
もし作者が全能感を感じたいのなら、
最強主人公ではなく、
圧倒的な力を持つ敵にこそ、
同一視をして快感を得るべきでは?
そして敵と主人公の違いはただひとつだ。
敵は許せない方法を使う。
主人公は許せない方法は使わない。
その紙一重で、大きく差が決まるのだ。
つまり、敵とは、
「あなたの影の部分」だ。
あなたは強大な力を使いたい。
(主人公がチートするのは御都合主義)
あなたにはルールを破り何をしてでも勝ちを得たい時がある。
(主人公がそれをやればアンチヒーローにしかならない)
そして敵は、おそらくそれゆえに破れることになる。
主人公の勝利によって、
主人公の持つ主張や価値が意味がある、
となるのがストーリーの結論である。
その逆で、
敵の持つ価値観や主張が破れることで、
それは否定されて、その逆が肯定されることになる。
つまり、
敵の持つ主張とは、
「あなたの影の部分で、
あなたが間違っていると思う自分自身の心で、
そして闇に葬り去りたい価値観」
であるべきだと僕は考える。
それを架空のストーリー上で闇に葬るから、
カタルシスがあるのだと僕は思う。
そして、
主人公の感情移入と同様、
敵の持つ価値観は、
「なるほど誰にでもある悪い心だな」
と、普遍性を持つことが大事だ。
観客が、
「今俺は敵の立場にはいないが、
たしかにこの立場になれば、
俺もこうした黒い心を解放するかもしれない。
いや、羨ましい」
と思えば、それは敵への感情移入である。
そしてそれがストーリー上で葬られることで、
観客の黒い心は成仏するわけである。
だから、
敵は、悪の限りを尽くすべきだ。
そのことによって、悪を疑似体験して、
その黒い心を成仏させるためである。
その感情移入を得るためには、
あなた自身の闇の心と、
普遍的な闇の心の共通点を探す必要がある。
そしてさらに、
よくできた話というのは、
主人公の価値観と、
敵の価値観は、真逆の構造をしている。
あなたが葬り去りたい闇の心はなんだろう?
それと対極的な価値観はなんだろう?
その両極端を考えると、
主人公と敵の軸ができるかもしれない。
つまり、主人公または敵の、
どちらかは逆算でつくられるかもだね。
2021年05月19日
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