2021年05月22日

H図理論

主人公と敵に関する整理メソッドを思いついたので記してみる。


主人公(プロタゴニスト)と敵(アンタゴニスト)がいるタイプの物語について考える。
これはほとんどのハリウッド映画に共通するタイプの物語で、
世界の半分はこのタイプに属するだろう。もっとかな。

主人公が敵を倒してハッピーエンドになるのが、
大枠であると言えるタイプの物語だ。

(ベルセルクやシグルイのように、
プロタゴニストとアンタゴニストの間に、
憎むだけでなく愛を含んでも良い)


この、主人公と敵について、H型の図を書くと、
骨格が整理しやすいよ、
というのがH理論である。


A4の白紙を縦使いする。
左上に主人公、右上に敵の名前を書く。
その下にそれぞれの初期状態を書く。
左下に主人公の最終形を、右下に敵の最終形を書く。

それぞれ縦線を結ぶと、
それぞれのキャラクターの変化になる。

たとえば、
主人公は、最初はおどおどして自信がなかったが、
最終的には自信を得る、
敵は、最初は強大な力を持っていたが、
最終的には力を過信して破れる、
などのようにだ。

主人公の変化は成長のアークを描くし、
敵の変化は敗退のアークを描く。
(変化できなかったことで敗北する、ということでもよい)

ここまでは分るだろう。
そして、それぞれは対比的であるべきだということも。

つまり、主人公と敵の初期状態は、
対比的であるべきだし、
主人公と敵の最終状態も、
対比的であるべきだということだ。

主人公がテーマを表し、
敵がアンチテーゼを表すわけだから、
両者は真反対であるべきだ。

しかも主人公がハッピーエンドになり、
敵はバッドエンドになる。

横軸は意味的に対比的、
縦軸は時間的に対比的(不幸→幸福と、幸福→不幸)
であるということになる。


主人公は何かしらの不足からはじまり、
最終的に何かを得て幸福になる。
敵は最初は強大だが、
それ以上を得られず、主人公によって何かを失わさせられる。

そして主人公の得たものがテーマであり、
敵が失うものであるべきだろう。
それが対比的であるという意味だ。


さて。ここまではただの対比的な縦線二本だ。
ここでHの字にする。
つまり、真ん中を結ぶ。

主人公ラインの真ん中には、
「なぜそれが得られたのか」を書く。
敵ラインの真中には、
「なぜそれを失ったのか」を書く。
あるいは、
主人公ラインは何故勝利したのか、
敵ラインは何故敗北したのか、
でも構わない。

初期状態から最終状態に至った、
決定的な要因を書く。
主人公がその変化した瞬間がテーマが確定した瞬間であり、
敵がそれを失った瞬間が、アンチテーゼが敗北した瞬間で、
テーマが裏から決まったときだろう。

で、
Hの真ん中に、
その二つの要素の共通点は何か?
を書く。

それが、テーマである。


たとえば主人公が自信を得て、
敵が慢心する話だとしたら、
その変化の時に共通するのは何か、
ということだ。

その時にたとえば「自分で何でもやること(敵はみんな人任せだった)」
が共通点だとしたら、
テーマは主人公のアーク「自信」ではなく、
Hの真ん中の共通点、「自分でやること」になるわけだ。

主人公の成長曲線、
敵の敗北曲線は、
それぞれのキャラクターを追求していくうえで、
自然と出来るかも知れない(キャラクターアーク)。

そして、それらがことごとく対比的になり、
その間のコントラストが一番濃くなるべきだ、
という判断も出来るかもしれない。

しかし、
「それらはひとつの言葉から導けるのか?」
を問うことをしていない可能性がある。


闇と光について書こうとか、
友達がいたやつといなかったやつのことについて書こうとか、
具体的な対比までは思いつくかもしれないが、
それをひとことでいうと、なんだろう?
まで突き詰めていないのではないか?
というのが本題だ。

それを見出す方法論として、
Hの図を書くと、
中心には何がくるだろう?と考えるきっかけになるよ、
という話。


仮に、友達がいるいないの対比になったとしても、
シナリオによっては、
「感謝の気持ちがあるかないか」とか、
「相手に対して報いたかどうか」とか、
「裏切られることに対しての考え方の違い」とか、
「だれかをバカにしていたかしていなかったか」とか、
まったく別の対比になるだろう。

で、あなたの話では、
その中心にいるのはなんですか?
と問う為に、
Hの図を書いてみなさい、
ということなのだ。


どんなに面白い話でも、
キャラが対比的でも、
そのテーマに対して表裏一体になっているとは限らない。

だから、
主人公と敵は、
何について表裏一体なのか?
という事を見出すために、
この順でHの図をつくるといいだろう。


そして、
もしその中心にいるテーマやコンセプトが判明したら、
「それを中心にリライトしたほうが分り易くなるぞ、対比的に描けるぞ」
ということに気づくことができる、
ということである。


つまり、
全体のリライトに対して、
このH図は本質的な見方を提供する。

テーマについて、
主人公と敵が、コインの裏表になっているか?
ということについてだ。


そうなっていない微妙なシナリオは、
このやり方で一番大事な骨格を俯瞰することが可能になるだろう。
「なるほど、ここの中心が甘かったのだな」
ということにさえ気づければ、
書き直しようはいくらでもあるはずだ。


リライトは芯がときどき見えなくなる。

何が芯なのか、迷ったら、
主人公と敵に対して、
このH図を書いてみれば把握できる。
posted by おおおかとしひこ at 08:18| Comment(5) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
初めてコメントさせていただきます
とても面白い理論です
自分の作品を見直す以外にも、既存の作品に当てはめてみることでその作品に対する考察や理解を深めることにも使えそうだと思いました

試しにスターウォーズで考えてみると

ルーク:何の力も持たない普通の少年━フォースを正しいことに使うことを学ぶ━フォースを得て英雄になる
    ┃共通点:フォースの使い方(テーマ)
ダース・ベイダー:絶大なフォースの力を持つ━フォースを悪しきことに使う━力を過信して敗北

横書きの都合上横Hになってしまいましたが、このような形で合ってますでしょうか?
Posted by あきすて at 2021年05月22日 14:56
>あきすてさん

使い方としてはそういうことです。

ただスターウォーズのテーマって、
「フォースをどう使うか」なんだっけ、
と思ってしまいました。
実のところ、帝国軍やベイダーは「悪いこと」はしてないんですよね。

スターウォーズはアクションやビジュアルは優れていますが、
脚本的には微妙な作品だと僕は考えています。
「善は正しい。悪は悪い」みたいな子供みたいなテーマしかなくてねえ。

Ep4に関してだけは、
ルークには、
「何者になっていいか分からない若者が、
自分の役割を見つける」というのがありました。

それに対してベイダーは強力な障害物ではあるものの、
対立者(価値の異なる者)とはなっていないと考えます。
なんかすごい敵なんだけど、悪人でも殺すべき男でもない感じ。
ベイダーは何かしらの価値を賭けてルークと対決したわけではなく、
ただレースに抜かれただけの背景にしか見えませんね。

だからep6で父だと再設定されたのでしょう。
そうでないとドラマが成立しないと本能的におもったと考えられます。
(じゃあベイダーが仕える暗黒卿が悪人かというと、
ビジュアルだけで考え方や行動は悪ではない。
多少傲慢には描かれてたかもしれないけど、
本来ならばナチスの蛮行のような行為が描かれてしかるべき)

もっときちんとした脚本をわかりやすく分析するときに、
役立ててください。笑


たとえばガッチャマン(をはじめとする70年代ヒーローもの)ならば、
科学を善に使う者と悪に使う者の対比になるので、
もう少し根幹ははっきりしています。
中央に何が来るかを考えると、
「善に使う者たちのほうが連合しやすい」ということでしょうか。
あるいは、
「皆の役に立つことの方が、個人の恨みの解消よりも強い」
ですかね。
Posted by おおおかとしひこ at 2021年05月22日 15:43
ついでに、じゃあep4をこの理論でリライトを試みますか。

ルークのテーマが「何者でもない若者が、自らの才能を見出して、
英雄となり、何者かになる」だとすると、
ベイダーは、「すでに何者かとして立場があり、
それを守ろうとしたがために敗北して更迭される」
というストーリーを対比的につくれると思います。
中心に来ることが、
「才能を試す」と「立場を守る」になるでしょうか。

この場面がクライマックスにあれば、
ルークはベイダーを倒して、
「何者かになる」というストーリーになったと考えられます。
(ep4時点ではルークの才能はフォースではなく、飛行機の操縦の才能だったはず)
Posted by おおおかとしひこ at 2021年05月22日 15:46
お返事をいただけたことに大変恐縮しております

スターウォーズのテーマについてですが、確かにフォースの使い方とするのは変でした
ただ、スターウォーズが「フォースを善に使った者が勝利して悪事に使った者が敗北する物語」であるとするなら、フォースの使い方、フォースをどう使うかという共通点は「善は正しい、悪は悪い」というテーマに帰結させられるのではないかなと思います
ベイダーが対立者ではないというご指摘にはハッとさせられました
言われてみればep4でベイダーはルークと直接戦っていませんでしたし、レースの背景という例えはとても腑に落ちました

リライトの例も分かりやすく、とてもためになります
主人公と敵の決定的要因がそれぞれ「才能を試す」と「立場を守る」でそれらの共通点を考えるならば、「才能を試す」のは「変化を求める」ためであり、「立場を守る」のは「変化を拒む」ためであると置き換えれば共通点は「変化」となり、変化することに対する考え方や価値観がテーマになるという感じでしょうか?

面白いので色々なものでH図理論を試してみようと思います
ありがとうございました!
Posted by あきすて at 2021年05月22日 21:51
>あきすてさん

スターウォーズサーガ全体では、
フォースの善悪論を描こうとしている気配はあるんですが、
「これはきちんと描けてたなあ」というのは一個もなかったと思いますね。

ダースベイダーがなぜ悪に落ちたのか、
というキモがまったく詰まらなかったep3や、
決着をつけるべく描かれたep7-9でも、
「フォースの暗黒面」が「悪い顔になる」以外に何もしてないので、
物語としてはダメの烙印だと思います。
「正義のためにライトセイバーを振るう」ことだって、
相手が悪ではないので、ただの私闘レベルに成り下がっていて、
まったく燃えませんでしたね。

悪を描けずには正義は描けないと考えます。
犯罪を犯してない黒人を捕まえる刑事ものを考えれば分かるでしょう。

自分のストーリーをチェックするのに、
Hの図を書いてみると整理しやすいですよ。
そして、その図がきちんと言えてる
(直接話法でも、間接話法でも)かをチェックすると良いかと。
Posted by おおおかとしひこ at 2021年05月22日 22:54
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