2021年05月23日

ストーリーを始めるのに必要な情報量

これをコントロールするのは大変難しい。
多すぎると情報が渋滞する。
少なすぎると置いてけぼりにされる。

いつも、「思ったより少しだけ少ない」をこころがけたい。


というのも、
人は多くの情報を一度に処理できないからである。

書き手としては、これも言いたい、
あれも言いたいと詰め込み、
リライト段階で、
あれも言ってなかった、これも言っておきたいと、
どんどん、わんこそばのように追加して、
冒頭がどんどん膨らんでくることがよくある。

ファーストシーンだったものがセカンドシーンになり、
ちょうどいいタイミングで起こっていた事件が、
なかなか起こらないタイミングへ遅れてゆく。

タイミングが問題ではない。
問題は情報量だ。

原則は、
「これから起こることを想像して、楽しいだけの量より、少し足りない」
だと僕は思う。

充分だと、
「ああ、そうなると思ってた(読めてた)」となるからだし、
多すぎると、消化できないからである。

腹八分目、
「大体分ったし、ちょっと足りないから、
足りていないところは『多分こうだろう』と想像力が広がる隙間がある」
が理想だと僕は考えている。


そもそも、
余計な情報は焦点の邪魔である。
観客が知りたい、興味のあることに対して、
一回横に行ったり、
わざわざ他の情報を入れることは、
情報の整理が下手なのだ。

理想は、
「今知りたいことがあり、
その知りたいと思った瞬間に情報が提示される」
である。
知りたいと思わせなくてはならないし、
知りたいという機運のときに適切に提供がないと、
不満だけが溜まってゆく。
(もっとうまいのは、知れたが、謎が増えて、そっちが気になる、である)

リライトで危険なのは、
「情報を知りたい」感覚をわすれてしまうことだ。
「情報を知りたいときにうまく提供している」
シナリオだったとしても、
あとあと使うことをここで入れておかなくちゃ、
実は裏設定はこんな感じなので、
すてるのは勿体無いからここで説明しておこう、
などと余計な情報を、
入れてしまいたくなる。

そこで情報提供のタイミングがどんどん遅れて、
観客の気持ちと離れたリライトになっていきがちなのだ。

観客は前から順番に見ている。
提供された情報の順で、
「次はこうなるだろう、あるいは、
ここが足りていないからここを知りたい」
と思っている。
あるいは、
「ここが足りていないが、実はこれはこうなのではないか?」
と想像している。

それ通りになったり、
それと違う意外な展開になったときに、
観客は引き付けられ、面白いと感じるわけだ。

この綱引きを、
リライトのときにわすれがちだ。

初見の観客の気持ちになることが、
リライト慣れすると困難だからね。


だから、分量の目安は、
いつも少し足りないくらい、
腹八分目を意識しよう。

充分に消化した上で、
なお想像の余裕があるものにしよう。

必ずしも新しい情報提供だけでなく、
これまでのものを再整理することや、
別の見方で見ることも必要だ。

だから新しい情報だけで考えてはいけない。
つねに、
「観客の頭の中に、これまで起こったことや、
これから起こることを想像できるような分量」
だけを提供することを考えよう。


説明しないとダメなのではないか、
という説明下手のあせりが、
出てはいけない。
これだけ設定したんだから、
全部説明したいという、
作り手のいらぬこだわりを入れてはならない。

つねに、
先が見えているが、
全体は見えていない、
不安と期待のバランスの取れた見通しをあたえよう。

ストーリーを始めるだけの情報とは、
大体それくらいでいい。
大抵は多すぎる。
少なすぎて、ちっともわからない
(分るけど膝を打つほど面白くない)ということもあるけど、
筆が立つようになってくるとその段階は過ぎる。
一向に卒業できないのは、多過ぎ病のほうだ。

posted by おおおかとしひこ at 00:12| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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