2021年05月19日

名前は認識をつくる

初期の乱数をファクターXと名付ければ、
ファクターXは「存在するかしないか」という議論になり、
「それは初期の乱数やろ」というみなしができなくなる。

『ファクターX』、西浦博教授が報告 「考察すると見えてきた“4つ”の事実」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/83119?page=1&imp=0


初期の頃、
BCG仮説、土足脱ぐ習慣やおしぼりや入浴の習慣、
日本のコミュニケーション自体が欧米の大袈裟なやつじゃない、
そもそもDNAが、などのファクターXの候補があったが、
それとコロナとの因果関係が証明されてはいない。
(ないことも証明されていない。つまりいまだ棄却されていない仮説)

気温効果、地形効果はファクターXに影響しているが万能ではない。

科学的に考えれば、
「ファクターXという特定のものはなく、
複合的な効果にすぎない。
あるいは、一時的な現象を因果関係と誤認している可能性もあるし、
実はあるかもしれない」
ということだ。
まあつまりは、あるともないとも証明できないが、
なんかある、しか言えてないだけの話。
ダークマターだって複数の物質をそう呼んでる可能性もまだある。

運命はありますか、くらいの粒度なのだ。


言葉は呪いである。

その言葉が存在した時、
存在する前とは世界の認識を変える。

神という言葉がなかった時の人類と、
神という言葉を発明した以降の人類では、
世界のディテールが異なる。

アニメの神回とか、神絵師とか、
それが存在する以前と以後で、
人々の認識は変わったと思う。


麻雀には流れがあるか?
という問いも同じだ。
乱数の偏りを「流れ」と名付ければ、それはあるのだ。

言葉は認識を変える。

それ以前と、世界の見方が変わる。
理系の見ている世界と文系のそれは全く違う、
という批評の絵があるが、それと似ている。



で、ファクターXってXメンだよな。
ミュータントという否定的な文脈だけど。
カッコいい言葉だなあ。
「世界には生まれ持ったファクターXのいる人と、
いない人がいる」という認識は、中二を興奮させる。

こういう発明をしたいよね。
それを一個つくれたら世界が変わるよ。

「かめはめ波」以前のドラゴンボールと以後では、
世界の認識が変わったように思う。
posted by おおおかとしひこ at 15:54| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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