2021年05月19日

【薙刀式】脳の負荷

創作文は、日常の動作に比べれば(たとえば駅まで歩く)、
とても負荷が高いと思われる。


ルーチンになると脳の負荷は低い。
ながらでもなんとかなる。

引っ越してきたときは家から駅までは全集中して歩くが、
住み慣れた街では歩きスマホでたどり着くことも可能だ。(自己責任)

脳は作業をルーチン化する。
ルーチン化された、無意識でできることを作業というのかも。


文章を書くことは、
日本語を書くことは、
ルーチンか?
ということが問題だ。

たとえば仕事の定型文はルーチンだろう。
僕は「お世話になっております」も打たないし、
なんなら「大岡です。」からも始めずに用件だけ書く。
内容が仕事に的確かどうかしか僕は考えないので。
基本は虚礼廃止でいいと考えてる。

でもそうではない人は、
有限個の美辞麗句を組み合わせる人もいるかもだ。
そういう人にとって、
書くことは半分くらいルーチンだと思われる。
ルーチンなら他のこともできる。
たとえば音楽を聴きながら書くことも可能だろう。
僕は脳内発声もないし、
周囲がどんなに騒がしくても聞こえない集中力でものを書く。

脳の負荷を、つまりは何%書くことに使うかという話だ。


僕は、決まりきったことは書かない。
創作とは過去にないことをすることだ。
最も創作度が高い小説や脚本を書くときは、
タイピングしない。
脳の負荷が高すぎるからだ。
漢字変換や十本指を動かすことすら負荷が高く感じるほど、
全脳を使う。

それより負荷が低いブログや第n稿は、
タイピングをようやく使える。

ただその時も脳は回転しぱなしで、
指やその他のことに気を回せない。
(この文章はスマホで書いている。
指一本の負荷でいけるので、
思考にわりと全振りできる。
候補選択で途切れるのはしょうがないが、
寝っ転がりながら書ける方が在宅では強い)


薙刀式は、そんな僕の、
なるべく負荷を下げようという考えが前提にあるような気がする。

僕はタイピングは得意でないから、
遠いBSやエンターやカーソルに指を伸ばすのは負荷が高いと思った。
薬指や小指を使うのは負荷が高いと思った。
シフト面を1面にし、範囲も27キーに狭くしたのも、
それ以上は脳の負荷が高いと思った。
中指薬指同時押しは指がこんがらがるので、
独立指である人差し指シフトにしたのも、
脳の負荷を減らすためだ。

左右盲は脳の負荷が高いときに起こりがち。
左右盲を起こすほどの負荷の高い配列は、
僕的には無理だった。

小川さんが面白い考察をしている。
https://jigendaddy.hatenablog.com/entry/2021/05/18/070728

それぞれ負荷を下げるためなのだが、
物理負荷というよりは、
脳の中で占める部分の負荷を減らそうという魂胆だろうな。

やりたいことは書くこと(書き直しも含む)だが、
それ以前に考える方に脳負荷を割きたい。
脳のキャパが一定なら、
書くことの負荷が減った方が考えられる。


もちろん、複雑な配列(そのかわりより便利だろう)を、
無意識レベルに落とし込めば、
難易度が高い配列でも負荷は下がるのかも知れない。
でも僕はそこまで自分のスペックが高くなかった。

薙刀式は、スペックの低い僕が、
脳内負担を減らすために作った配列、
ということが言えるかも知れない。
だから結果的に、(脳が)楽、なのかもね。

もちろん、負荷の減らし方に流派があって、
それはどれが負荷が高いか、
という個性にも影響されるだろう。

合う配列合わない配列があるのは、
それぞれに手や脳の構造が違うからだと考えられる。
思考の様式や負荷の大小も違うだろう。


色んな人のMRIをリアルタイムに見て、
「ほら、こんだけ違うのさ」なんてやってみたいけど、
それが無理だから言葉で表現するしかないよね。


とりあえず手が楽なことが最低限。
そして脳も楽になりたい。
でも大事なことは脳が楽になることで、手は二の次だと思う。
漢字変換をしなくていい手書きは、手に負担はかかるだろうが脳は楽だ。
だから僕は手書きの方がタイピングより楽だと思っている。
手書き900字(変換後)/10分と薙刀式2000でも、
まだ手書きの方が脳が楽なんだよね。
posted by おおおかとしひこ at 14:32| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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