2021年05月20日

【薙刀式】キーボードって、指で使う道具としては大雑把なんだ

ずっと違和感があったことが、ようやく言葉になった。
キーボード、19mmは大雑把すぎる。
だって僕は1mmに線5本引ける指を持ってるので。


僕は昔漫画家を目指してたので、
Gペンやら丸ペンやらで線を書いていた。
万年筆と基本同じの、金属板バネと同じ反力のペンだ。

漫画家の修行のひとつに、
「1mmの幅の中に何本細かい線を引けるか?」
というのがある。
僕はボールペンでも3〜4本、
丸ペンなら5本は余裕。
調子のいい時は7〜8本行けた。

つまり指の精度は、
5本としても0.2mmである。

もちろんこれは右人差し指の精度で、
左手なんかはメタメタだろう。
3mmずつくらいしか引けないかなあ。


また、線に関する精度だから、あらゆる方向の精度ではない。
線というのは手首の回転を使うので、
回転しない方向、
右手でいうと、左上と右下を結ぶ方向には線の精度は落ちる。
漫画家が原稿用紙を回転させて絵を描くのは、
これが理由だ。


ペンを絵筆に持ち替えて水彩やアクリルをやっても、
あるいはボールペンで小説を書いたとしても、
この手の感覚は生きている。

字を書くことでいうと、
高々1cm角の大きさで一文字を書くわけで、
ここに10画やそれ以上の漢字を書くわけだ。
(「鬱」とかなら2cm角くらいになるかな)

つまり、僕の右手はそれくらいの精度のなかで闘っている。

ふとキーボードを打っている手を見た。
どんなに精度をあげても、
1U=19mmの精度でしかキーを叩かない。

JとYはその√2倍の距離もある。

ミリに5本の精度に比べて、
キーボードは大雑把すぎる道具なのだ。


もちろん、
手書きではまったく同じ線が引けない。
だから毎度毎度違うフォントになる。
その曖昧さを許容しながら人類は文化を紡いできた。
0.2mmの精度といいながら、
実際に書かれる文字はもっと曖昧ではある。

逆にキーボードでは、
キーとキーの間を打ってはいけない。
19mmのうちどれだけがホットスポットかはわからないが、
DSAだと12mm角くらいのトップ面に指を当てないとオンではない。


精度は繊細なのに仕上がりは大雑把で良い手書き。
精度は大雑把なのに押す場所は正確でないといけないキーボード。

僕のキーボードに対する忌避感は、
その真逆さにあるのかもしれない。


つまり、
「手の感覚からすれば大雑把な距離にスイッチを並べて、
それらを順番に正確に押さないとアウト」
という機構そのものが、
僕の字を書く感覚の真逆のような気がしてきた。

僕は発明家ではないから、
「じゃあその字を書く感覚で使える、
新しいデジタル入力機器はあるのか」
に関してのアイデアはない。
手書き入力が、続け字かつ単語単位でいければあり得るのかなあ。
だったら漢直だしいいよね。
僕の癖字の学習にどれくらいかかるかは分からないが。



そうか、キーボードは19mmも運動しないと打てないのか。
僕の字の2文字分も移動してるんだ。
あまりにも大雑把だ。

外人の文字は結構デカかった記憶がある。
彼らはその精度でキーボードを設計したはずだ。
それをそのまま使ってる日本人は、
やはり考えが足りなさすぎると思う。

原稿用紙のマス目を埋めてゆく習慣は印刷のための近代のもので、
日本語とはそもそも筆で巻物に書いていくように発達したはずだ。

一文字一文字は異なる大きさであり、
ことばを繋げて書くのが日本語の本質だよなあ。
その連続体をフーリエ級数分解みたいにデジタルに分解してるから、
そもそも無理があるんだよな。


精度だけ見て狭ピッチが正解かというとそうではない。
指が太いと16mmが限界で、
手を小さく構える窮屈さがある。
並べたスイッチとは別の機構が、必要な気がしてきた。


薙刀式は、「単語を一筆書きにするような感覚」
で配列を考えてきたが、
5文字7文字あたりを、19mm×そのモーラ打で一筆書きする感覚。
その指の移動感覚が、手書きより今のところたくさんある。
だから手書きに比べて、遅くて疲れる感覚になるのだろう。

僕はこれだけがんばったのに、
まだ手書きにキーボードは追い付いていない感覚がある。
なんとかならぬか。原理的に無理なのか。
posted by おおおかとしひこ at 07:42| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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