2021年05月27日

【薙刀式】文章が書けるようになるための練習方法

という、ごりゅごさんが面白い文章を書いてたので。
https://knowledgestuck.substack.com/p/512?token=eyJ1c2VyX2lkIjoxOTk1MzA2NiwicG9zdF9pZCI6MzY4NDU2NDcsIl8iOiJFa1NoSSIsImlhdCI6MTYyMjA2ODgzMSwiZXhwIjoxNjIyMDcyNDMxLCJpc3MiOiJwdWItMjcwOTE5Iiwic3ViIjoicG9zdC1yZWFjdGlvbiJ9.ENiMs49J3QrmTIdDs-oyqbzb6MGVo7r1kfeqo9efhqI

これは脚本家や小説家の間で、
マラソンライティング(ノンストップライティング)
と呼ばれるやつの、時間を短めにしたトレーニング法だね。


アウトプットの練習は、
アウトプットを練習することでしか鍛えられない。

僕は面白いことを思いつく職業なので、
職場でよくやるのは、
「はい面白い話して」だ。

持ちネタでもいいし、それを適当にアレンジしてもいいし、
その場で作り話をしてもいい。
なにせ僕らは「面白い嘘話をつくる」のが仕事だからね。
それに慣れてないやつが、
いざ実戦で面白い話ができるわけがない。


それと同様に、
文章を書き慣れてない人は、
文章を書けない。
小泉構文になってきた。
つまり、
文章を書くためには文章を書けばいい。

自分にとってどのようなアウトプット形式がいいかは、
人による。
「誰かに話す」やり方が楽な人もいれば、
手書きの人もいれば、タイピングの人もいるだろう。
(これが音楽や絵になってしまった人が芸術家だと僕は思う)

話すのが得意な人は、
生まれた時から話すのが得意だったのではなくて、
誰かと話しまくって話が上手くなったはずだ。
で、話が上手いからまた話す、
という正のループに入っている。

書くことも同様で、
つまりは上のように書く経験をしてないから、
書けないのである。


僕の場合は昔から漫画を描いてて、
国語の教師が作文を毎週書かせて、
どこかで褒められたことが、
文章を書く自信の、雪だるまの最初の芯になっていると思う。
しゃべるのはそんなに上手いと思ってないから、
書くことで自分の何かを表現する、
という手段を手に入れられた気がする。

若いうちにそれを手に入れたら、
あとは話し上手は話しまくることで上手くなるのと、
同じループに入れるわけだ。

マラソンライティングは、
そういった経験の分を、
いま経験してしまおうという方法論だ。

明石家さんまみたいに、途切れずしゃべることを経験して、
まずしゃべれるようになろうぜ、
質は問わないよ、
という方法論だ。

面白くなくてもいいから書いていいよ、
なんでもいいから書け、ただし書くのをやめてはいけない。
ある時間を決めて、その間は生きてることが書いていること、
くらいの経験を積むわけである。

僕はそれを自然にペン一本でやってきた。

3分でも5分でも10分でもいい。
15分あたりが手書きならやりやすい。
作家としてのトレーニングなら、20分、一時間コースもある。
毎日やる、毎日数セットやることで、
書くことの明石家さんまになろうということだ。

慣れさえすれば、
あとは内容次第なので、そこはまた別の訓練をすればいい。
(インプットをたくさんするとか、アイデアを練るとか、
他の人の話の構造を分解して研究するとかだ)

書く内容以前に、
まず手を動かし続ける感覚を身につけること、
頭の中のものが字になり続ける感覚を、
目を瞑っても出来るようになることが、
このトレーニングの目的だ。

自転車に乗れない人が、
スーパーに行ったり、駅に行ったり、海に行けるはずがない。
まず自転車に乗れるようになろうぜ、
というだけのことである。


僕は、手書きを推奨している。
日本語を書くのにもっともストレスがないのは、
手書きだ。

これだけタイピングのことを研究してるのは、
タイピングがあまりにも手書きにくらべてへぼいので、
もっとマシにして手書きに近づけたいからである。
僕の手書きの能力に、
僕のタイピング能力はまだついてきていない。

まあ、現時点で手書きよりタイピングの方が得意、
という人もいるだろうから、
なんでもいいから得意なやつでやればいいと思う。
でも咄嗟に図を書いたり、レイアウトを組みやすいので、
手書きの方が優秀だけどね。充電しなくていいし。


薙刀式は、
そのような書き方にも対応できる道具だ。
ていうか、作家のその最低レベルに対応しないと、
書く道具として不十分だろ、
という僕の批判としての結果である。

暗いと不平を言うよりも、進んであかりをつけましょうの精神だ。
僕には、qwertyローマ字とふつうのキーボードでは、
マラソンライティングの道具としては、
まったく役に立たなかっただけのこと。

薙刀式だと、
2000字くらいは息継ぎなしで書ける。
大体ブログの一記事はそんなもので、
それを日々アウトプットしてるわけだ。

手書きだとたぶん5000字くらいはすぐに書ける。
それくらいになりたい。



また、
文章を書けない人は、
「文章を書ける人の頭の中に、
色んなネタや貯金があって、
それを引き出しから出してくるようにして書く」
のようにイメージしているかも知れない。

だから、自分の中にそれほどのダムの水はないとか、
すぐに尽きてしまう、などのように想像して、
文章を書かない。

そうではない。

文章を吐き続ける訓練をすると、
頭の中が空っぽになる。
そして、新しい思いつきに対して、
全脳を使って考えられる。
その考えた結果が文章になるだけの話だ。

キャパが100だとして、100使えれば脳はフル回転する。
しかし頭の中に余計な貯金が30あると、
70しか考えることに使えないのである。
貯金が90になれば10しか使って考えられない。

溜めすぎると回転しないのだ。

頭の回転をするコツは、余計な物を捨てて、
素の状態で考えることである。

実はマラソンライティングの効用はそこで、
毎日たまる頭の中のうんこを、
排出し続けることが可能になるのである。

このことによって、
頭の中が常に空っぽになる。
そして、来たものに子供のように素直に反応できるようになる。

そのときに考えたこと、思ったことを、
マラソンライティングで鍛えた手で、
書き留めていけば、
それが文章なのだ。

つまり、文章とはダムの放水ではなく、
水車小屋のようなものだ。


もちろん、創作物語や論文や本の執筆のような、
長期計画で書く文章はあるだろうが、
それすらも、
頭の中に構築するのではなく、
地図を紙に書いて俯瞰したら、
その時々では、
頭を空っぽにして書くべきだ。

なぜなら、読者は、情報ゼロからスタートするからだ。

上手な文章とは、
読者が疑問に思ったときに、
適切なタイミングでその答えを提示するものである。
話し手自身が読者と同じ地平にいないと、
読者が疑問に思うタイミングや内容を想像できない。

おなじゼロスタートをシミュレーションしながら書いていないと、
上手な文章にならないのである。


ごりゅごcastはそれをちゃんとわかっていて
(薙刀式と自作キーボードの回しか聞いてないですが)、
話し手のごりゅごさんに対して、
まったくのど素人の聞き手はるなさんが、
適切なタイミングで適切な疑問を持つところが、
上手だと思う。

台本でもあるんじゃないかと思うほど、
いいタイミングでいい質問をする。
聞き手が頭空っぽの状態から話を聞くことを、
上手にシミュレーションできていると思う。

うまい文章も同じことで、
適切なイマジナリー聞き手がいて、
その聞き手が疑問に思うタイミングに、
適切な情報を提示すればいいだけのことである。

つまり、書き手と聞き手を一人でやればよい。


文章を訓練するひとつの方法に、
「全く知らない人に対して、声に出して読む」がある。
つまりははるなさんを呼んでくるわけだ。

下手くそな文章では、はるなさんは茶々を入れたり、
「よくわからないんだけどこういうこと?」と質問したりする。
それがない状態が、
理想のうまい文章ということだ。

で、
細かいことを考えていては、
訳がわからなくなるし、
萎縮してしまう。

だから、
じぶんが聞き手になるために、
頭を空っぽにして、
書き手が書く文章を読んでいくのが、
上手な文章の書き方なのだ。


話し上手な人は、聞き手の顔を見ながら、
相手の理解度や夢中度を把握しながら、
適宜当初の計画を変更しながら話をする。

文章もおなじで、
イマジナリー聞き手の自分がそこにありながら、
適宜変形しながら書いていくものである。


そうしたことに全体的に慣れていくには、
マラソンライティングは、
とても効果的なトレーニングだ。

喫茶店で話が途切れずにしゃべり倒すのを、
毎日文章でやろうぜ、
ということに過ぎないのである。

女たちは毎日ぺちゃくちゃ喫茶店でしゃべるから、
話がうまいのだ。(偏見)
そうなるように、
文章を毎日書けば、そのうち、
「書くこと自体」が人生の一部になる。

そこまでやって、
じゃあ、取材とか構成とか、別のトレーニングを積むだけのことだ。



薙刀式は、
そのようなことがふつうに楽にできるための道具だと僕は思う。

他の配列でも出来るのかも知れないけど、
他の配列の作者からはこのことを聞いたことがないので、
そこまで文章を書くことに慣れていない人の可能性が高い、
と僕は思っている。

もちろん、ふつうの、
左に傾き、キーが重く、機能キーの遠い、
指の形にあってないキーボードよりも、
動線や形が練られた、
自作キーボードのほうがより使いやすいと思う。


薙刀式は頭を空っぽにするための道具だ。
逆説的だが、ここまでを読めば意味はわかるだろう。
posted by おおおかとしひこ at 22:42| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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