日本の文化の衰退は、
好きばかり量産して、
面白いを怠ったことにあるような気がしている。
好きは量産できる。
たとえば美しい人にいろんなポーズをさせることでだ。
猫動画は日々増えている。
好きなものの別の角度はまた好きなのである。
だから量産することは比較的楽だ。
面白いはなかなか量産できない。
面白くないことのリスクがあるからだ。
好きにおそらくリスクはない。
みっともない姿すら、
好きの一部になるが、
面白くないことは面白いことの一部にはならない。
好きは、すでに票を獲得している状態の、追加である。
面白いは、どっちでもない状態から、評価を得なくてはならない。
つまり、
好きは面白いより量産が効き、
面白いは好きよりつくるのが大変だ。
だから衰退した。
好きという太客ばかり相手にしていて、
新しい面白いを開拓せず、
日本の人口の衰退とともに衰退している。
沢田研二というコンテンツを見てみよう。
たしかに初期はジュリーというのはすごかった。
僕は子供のリアルタイムで見ていたが、
母親の熱狂もすさまじく、
歌番組でのキャーキャーぶりは尋常ではなかった。
いまだにスナックではジュリーの全盛期の写真が飾ってあるところもあるよね。
しかし今の沢田研二はどうか。
ただの太ったおっさんである。
しかし好きな人は好きでありつづけるために、
もはや新規顧客を必要とせず、
おっさんはおっさんで生き続けるわけだ。
しかし、そろそろ全盛期を支えたファンたちも、
鬼籍に入る時期になってきた。
だからジュリー市場は小さくなってゆき、
いずれ消失するであろう。
日本の文化は、
どこかで新規顧客を得るための努力を放棄して、
好きばかりを増やすことに邁進し始めたように思う。
僕は日経エンタテイメントという糞雑誌
(ヒットの法則とかいいだしたころ)
の出現が、その端境期だと思っている。
あるいは、震災であらゆる投資関係が冷え込んだときからか。
好きを増やすことは簡単だ。
真似すればいいだけで、
いい素材を持ってくればいいだけだ。
面白いことを増やすことよりも簡単で、
そして失敗がない。
まるで日本の投資と同じだね。
文化というものは、
昔からパトロンを必要とした。
大きな金があり、しかも自由がある程度あることだ。
失敗することはあっても、死ぬことはない。
しかしパトロンが死に、いなくなり、投資前提のものだと、
死ぬことがあるため失敗できなくなる。
だから生き残るために、
好きを増やす戦略に出たのだと思われる。
今、どのプロデュースも、
どういう好きのジャンルか、
しか測定していないような気がする。
新しい面白いを求めていない気がする。
だから新しい面白いに投資が集まっていない。
(個人でやれる範囲がユーチューブにあり、
だから皆ユーチューブに行ってしまった)
面白いは、宣伝が難しい。
好きは、宣伝が簡単だ。
その広め方でも、面白いは好きに負けている。
だから面白くなくったのだ。
これは僕の私見だ。
真実かは知らない。
好きを語る言葉よりも、
面白さを語る言葉のほうが豊かにならない限り、
市場が増える、
新しいわくわくはもう生まれないのかもしれない。
2021年06月12日
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