2021年06月15日

恐怖のないストーリーはない

具体的には、リスクといえるかな。
しかし、主人公的には、それは恐怖に見えているだろう。


ストーリーの正体とは、
問題の解決である。

しかしそれが簡単に解決できるならば、
金をとって見せるレベルのものにはならない。
一見解決するのが困難で、
しかしそれをやり遂げるすばらしさを描くから、
金をとってしかるべき、
すばらしいストーリーになるのだ。

だから一般に、面白い話というのは、
すぐには解決できない、
難しい問題を扱う。

で、
それが簡単に、ノーリスクで解けるならば、
それは難しい問題とは言わない。

難しい問題というのは、
何らかのリスク、危険、法を犯すこと、
失敗したときに失うものの大きさ、
などの、マイナス面が大きくあるものだ。

それがないと、
ノーリスクで賭けをすることと同じで、
たいしてハラハラしない。

ハラハラするということは、
つまりは危険を伴うということで、
それにある種の恐怖を感じているということだ。

もちろん、
高いところから落ちそうになるアクションとか、
モンスターに追いかけられることとか、
突然殺人狂に出会ってしまうという恐怖も、
ジャンル映画にはあるものだ。

それとは関係なく、
「この問題を解決するには、
恐怖のあるゲートをくぐらなければならない」
となっているべきだということである。
(モンスターや高所のアクションや殺人狂は、
解決するべき問題への障壁、
ゲートの一種として存在することが多い)

リスクとリターンという論理的な計算もあるが、
それよりももっと原始的な、
「恐怖」になっているところがポイントだ。

たとえば失敗したら社会生命を失うことは、
恐怖を伴うだろう。
社の運命を賭けたプロジェクトは、
失敗したら恐怖が待っているだろう。
好きな子に告白する勇気がないのは、
恐怖があるからだ。

進みたい動機があり、
明確な目的があって、
それでも進まないのは、
恐怖が邪魔をしているからだ。

その恐怖をいかに乗り越えるかが、
主人公の物語だともいえるだろう。



乗りこえ方は、ふたつあると思う。

1 克服
2 回避

1の克服は、恐怖を恐怖に感じなくなるまで、
成長することである。
高所恐怖症ならば、それを克服するわけだ。
主人公の弱点が設定されていて、
それを解決しない限りストーリーは進まない、
という風になっていれば、
いずれその弱点は克服されるものになるだろう。

2の回避は、
とくに克服を必要としない、
正面からそれに挑まないやり方である。

そのルートを行かないバイパスで解決したり、
誰か他の人に助けてもらったり、
などがあり得るだろうか。

2よりも1のほうが面白くなる。
しかし、難易度が高い。

2はご都合主義になりがちで、
逃げたと思われるだろう。

1もうまくやらないとご都合主義になる。
しかしほんとうにうまく書ければ、感動が待っていることだろう。


恐怖もない目的は、
見るに値しない。
だって誰でも簡単にできるものだろうからだ。

そうではなく、
恐怖を伴うし、リスクもあるし、
実現困難だが、
それを甘んじてやるしかない状況にあり、
やるしかない動機や情熱に満ち溢れている状態で、
その恐怖をドラマチックに乗り越える物語が、
一番面白いと思う。

ただ恐怖から逃げて、
回避するよりも、
そういう正面突破が一番面白いよね。

チートじゃなく、心の奥底にしみるドラマにならないと、
それは表現が難しいのだが。


どういう恐怖がある?
そもそもないのなら、
勇気も出しようがないし、
作戦も立てようがない。
それは、克服できる恐怖だろうか?
出来るとしたら、どのように?
その克服は、見たことのない、ドラマチックなものになるだろうか?

そのセットを見出すことが、
主人公のストーリーをつくることだと思う。


誰もが、生きるのはこわい。
その瞬間を描くのだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:40| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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