ストーリーの記憶は残らない仮説から考えれば、
結局残るのは、
キャラクターの魅力である。
主人公やその他のキャラクターたちが、
「どういう場面でどういう決断をしたか
(どういうことを言ったか)」
で決まると思う。
演じる俳優の物理的魅力や、
しぐさや服やメイクで決まるのではない。
もちろんそれはビジュアル上の魅力ではあるが、
それはシナリオに書くべき魅力ではない。
(せいぜい、特別な美人であるとか、
目立つ美形であるとか、愛嬌があるとか、
それくらいは書けるが)
シナリオで書くべきキャラクターの魅力は、
そのキャラクターの哲学の魅力である。
あるいは、感情移入に値する、
「一見我々と違うように見えて、
実はこんなところが我々と同じなのだ」
という部分だ。
そしてそれらは、
総合的に、そのキャラクターの名場面で一点に集中する。
こういうときにこういうことを決断した、
言った、やった、
という場面だ。
つまり、
そのキャラクターの魅力が爆発するべき、
名場面で記憶に残るわけである。
主人公の名場面が一番強烈に魅力があることが、
必要だろう。
もし主人公よりサブキャラクターに魅力があるならば、
それが主人公であるべきだ。
たとえばスターウォーズでは主人公ルークよりも、
悪役ダースベイダーのほうが魅力的になってしまっている。
ただルークに名場面「二重太陽が沈む地平線に進路を悩む」があるが、
ベイダーにはない。
その差がぎりぎり許せる感じか。
しかしエピソード4ではそのバランスだったものの、
続編ではどんどんルークに魅力がなくなってしまい、
ハンソロやベイダーに取られてしまっている。
師匠ヨーダが出てきてもなおルークはキャラクターに魅力が足りていない。
あまつさえ、
「私はお前の父だ」とベイダーが明かす場面によって、
ベイダーのほうがキャラが立ちまくってしまう。
これを超えることは、
エピソード9まで描いてもついになかった。
この脚本的失敗によって、
スターウォーズは、
イベント映画にはなっても、ストーリー映画にはなれなかったのだ。
ああ、この主人公はよかったなあ。
そういう名場面はいくつあるだろう。
一個じゃなくて、複数あるとよい。
普段誰かが魅力的に思えてくるのも、
一発のひとめぼれよりも、
技ありでポイントをいくつも稼いでいった末の印象になるだろうからだ。
そもそも主人公にあなたが魅力を感じていなければ、
そんな場面を書くことすら計算に入れないに違いない。
自分をモデルにした主人公にするべきでないのは、
そんな客観性を保てないからである。
自信がない作者は自分の魅力なんて書けないし、
自信がある作者は自分の魅力をどや顔で書き、ずれた結果になるだろう。
自分をモデルにしない、
まったく別の人格の主人公にすることによって、
どういう魅力があるんだろう、
どうやって好きになろうかな、
なんてことを考えるはずだ。
まったくの他人のいいところを探して、
それが名場面になるとよいだろう。
サブキャラクターでも同様である。
とくに悪役は悪の魅力がぷんぷんするといいと思う。
匂いだけでなく、具体的な行動や決断の、
名場面をつくるべきだろう。
主人公のアシスト役や、第三者でも同様である。
ヒロインに魅力がない書き手がいるが、
それはただのお飾りで行動を描かないからだ。
ただ居るだけ、ただ仕事をしている(能力の範囲)だけではダメで、
追い詰められて、自分以上のものを要求されたときに、
どういう決断をするのか、どういう哲学で対処するのか、
などの逆境に入れないと、
人間を描いたことにならないと僕は思う。
逆にそうしないと、ただいるだけになる。
リアクションするだけのジェロニモになるだけだ。
試合をしてはじめて登場人物になるのだ。
最終的にそのストーリーというのは、
主人公の魅力でしか記憶されなくなる。
(ついでに、俳優への好感度として)
思い出せるほどの、
キャラクターの魅力に溢れた名場面をつくろう。
おそらくそこがあなたのストーリーのイコンになり、
ながらく記憶されるに違いない。
2021年06月16日
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