2021年06月07日

ヒューマンズエラーを防ぐ二つの方法

バカなやり方と、賢いやり方がある。
・手間を増やすことで防ぐ方法
・手間を減らすことで防ぐ方法


バカなやり方は、
途中で確認を増やしたり、
工程を増やしたり、
基準値を設けて測定を義務づけたりする。

それは近視眼的には合っているかもしれないが、
俯瞰した時に、
効率を下げ、コストを上げていることに気づかない。
だから現場は余計に悲鳴をあげる。

また、新しく増やした工程自身も、
ヒューマンズエラーの確率があることに、
バカは気づかない。
自分が手を加えたところは100%上手くいくと、
何故か思っているバカがいる。

確認や段階が増えると、
確認の確認、確認の確認の確認…
と際限なく各工程が隠蔽される。
そこに俯瞰した視座は生まれにくい。

その例が臨界事故である。
工程をショートカットしようとしたら、
その近視眼から見えていない、
俯瞰的な事情があったわけだ。

工程やレイヤーが増えると、
各部署にセクト化してしまう。
分業は人類の常だが、
理想の分業は全体を分かった上で部分の役割を果たすこと
(例 バンドの演奏)であり、
自分たちのエリアだけ守ればあとはどうでもいいわけではない。
自分たちのセクトでは小さなことでも、
全体から見たらとても大事なこともある。
逆もしかり。
その俯瞰性を、
工程を増やすことで失わせがちだ。


CMの制作部がいままさにそうなっていて、
彼らは確認ばかりやらされてしまい、
確認ミスかミスじゃないかが本題になっている。
いやいやいや、出来が面白いか面白くないかでしょ。
働く目的が間違ってしまっている。


こうした、
全体を分断して工程を増やす行為は、
阿呆な中間管理者を生む。

上の指示が間違っていても、
ハイハイと受注して、
下に無理を言い、現場が悲鳴をあげていてもそれを上にあげず、
ただ上に気に入られる、
スネ夫型を生みがち、あるいは放置しがちだ。

何故なら上からは現場が隠蔽されていて、
現場からも上の考えていることが隠蔽されているからだ。

全体を考えた意見は、下からは通らない。
なぜなら、無能中間管理者は、
「そんな良い改善案を何故今まで放置していたのか」
と上に言われることは、立場を失うことだからだ。

当該スレでは飲みニケーションが解決だ、
などのように昭和的に言われているが、
上が下の考えていることを、
中間管理者経由でしか知らないのは、
もはや組織として腐っている証拠だと思う。
そのチェック機構として、飲みニケーションは役に立つ。


賢い人は、
工程を減らすことでヒューマンズエラーを起きにくくする。
工程が増えることは、
そこを監視する目が増えることで、
つまりは全体が見えなくなることと同義だからだ。

それがどのようなものが理想かは分からないが、
自分の職務の範囲よりも外の改善が必要ならば、
そこも担当しなければならない。

それを「言葉が過ぎる」と恫喝するやつがいるわけだから困るわな。


また、
「俺が責任を取るからやってみろ」
という親分肌は、一見良いように思えるが万能ではない。
ミスが起こりやすい状況は改善したわけではないので、
何かあったらその親分の首が飛び、
ミスが起こりやすい状況は放置されたままになる。

人ではなく、システムの問題は、
それを扱う人が変わっても、
システムが機能するように、
設計されるべきである。
熟練者が必要なら、どの技能がどれくらい必要か、
客観的に明らかにするべきだろう。
それが出来ないのは、
人に頼ったままのシステムでしかない証拠だ。

技能が明記されている自動車の運転ですら、
毎年何万件も事故が起こるのだ。
今まで事故が起きなかったのは、
サイコロを振った回数が少なかっただけなのだろう。
posted by おおおかとしひこ at 14:24| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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