そもそも論なんだけど。
スポーツの大会やアスリートたちが肉体の極限に挑戦することは、
とても楽しいと思う。
それに日本人が絡めば、同国人として嬉しいのは確かだ。
でも、「内村航平が金をとったから感動した」とか、
「池田璃花子が金をとったから感動した」とか、どうでもよくないか?
五輪は国威発揚の場とはいうが、
金の数が国威に比例すると信じたり、
ダメだった国をざまあといって下げる、
とは関係なくないか?
国の情勢は環境に影響するとはいえ(補助金とかもあるけど)、
最後は個人(かチーム)の力でしょ。
アメリカ人が金をとっても、アメリカじゃなくてその人を称えればいいじゃない。
僕はPRIDEの煽りビデオが最高に好きだった。
その個人がそこに至るまでのドキュメントを秀逸に繋いでた。
選手に感情移入する最高の道具だった。
その感情移入は、国ではなく、個人にあった。
何国出身とかはどうでもいい。その国はその人の祖国だから尊重する、くらいでいい。
国家の威信をかけた五輪とか、
日本人が優勝して感動するとか、
多様性の21世紀にしては古い価値観じゃないの?
21世紀なりの、未来的な価値観のプレゼンならば、
東京五輪は意味があると思う。
国別対抗戦枠とは別に、全く自由な当日予選枠をつくるとかさ。
それが3割くらい入ってると相当面白くなるよね。
世界的なプロジェクトなんて多国籍軍が前提なんだしさ。
でもずっと、前世紀的な価値観のことばかり言ってる気がする。
だから今やる意義を感じない。
21世紀はすでに1/5終わったが、まだ東京は20世紀のなかにいる。
「次代の価値観」を提示できないかぎり、
東京五輪は失敗だと僕は考えている。
そして現在に至るまで、それはまだプレゼンされていない。
2021年06月13日
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