絵描きなら、デッサン力や色の感覚、物の構造の観察力。
ピアニストなら、絶対音感やリズム感や、指の力、和音への感性。
役者なら、立居振る舞いや発声や、人間的魅力や解釈力。
ストーリーテラーは何が上手い人のことだろう?
シンキングタイム。
一つだけ絶対に必要なのはなに?
僕は、
「ピンチを切り抜ける様を描くのが上手い人」
だと思うんだよね。
全体の構成力、
人物の描写やキャラの立ち方、
言葉の感性、
社会や人生への洞察力、
キャッチーであること、
尺に対する感覚、
感情移入のうまさ、
どんでん返し力、
テーマとモチーフの選び方、
なども必要だと思うけど、
どれか一つだけ本質的なものを選べと言われたら、
「ピンチとその切り抜けをうまく書く力」
だと思う。
ピンチと切り抜けはこの際セットね。
面白い週刊漫画は、
「大ピンチ!一体どうなる!?次週!」
でヒキを作って、
次週にその解決を描き、
「面白かった!」
と言わせる。
そしてまた新たなピンチに!
の連続だ。
それが面白いストーリーの条件だと僕は思う。
ピンチや切り抜けのないものは?
いわゆる日常系というやつ。
そんなハラハラしなくていいから、
ゆるゆるキャッキャやってるキャラを眺めるのが幸せ、
みたいなやつ。
それは猫動画と僕は同じで、
ストーリーではないと思う。
それはキャラクターコンテンツであり、
ストーリーテラーの出番ではない。
よく出来た日常系は、
実はきちんとストーリーが出来ていたりするのだが、
そもそも日常系を求める人が、
ストーリーを求めているかどうかは曖昧だ。
そもそも「意味の世界から逃避したい」という目的を叶えに、
そこに来ているのだから、
ストーリーを用意するのは無粋という考え方すらある。
ネトフリのストーリーはハラハラドキドキして疲れるから、
だらだらと見る日本のバラエティぐらいが丁度いい、
という説もある。
YouTubeはそれに答えるキャラクターコンテンツだともいえる。
だって他人のやってみたとかどうでもいいもんね。
「この人がやるから見てみよう」という、
やることに紐づいたものではなく、
やる人に紐づいたものになってる。
それって猫動画と同じだよな。
それとは別個に、
面白いストーリーというジャンルがあると思うことだ。
そして、ストーリーものが、
全てのコンテンツの中で、
最強のコンテンツかどうかは分からない。
それくらいの立場でいるくらいが、
ストーリーそのものを俯瞰できると思う。
僕はストーリーこそ人類の至高の芸術だと思うけど、
猫動画でしか癒せない人は確実にいて、
そこにストーリーは届かないとも思っている。
で、本題。
ストーリーの面白さは、
ビジュアルではなく(ラジオドラマや小説に面白いストーリーがある)、
世界観でもなく(世界観だけ良くてクソみたいな映画はたくさんある。
「落下の王国」でもあげておこうか)、
ましてやキャラクターでもなく(同様に、
「キャシャーン」のようにキャラデザは最高なのに、
クソみたいなストーリーは存在する)、
感情移入の深さでもない(同様に、
冒頭30分最高の感情移入なのに以降クソの「かいじゅうたちのいるところ」
をあげておこうか)。
何がストーリーの本体か。
「絶体絶命のピンチ!」と、
「そうやって切り抜けるのか!うまい!」
の連続体だと、
僕は思うのだ。
つまりセットアップと展開だ。
セットアップは最初1/4にやるだけのことではない。
あらゆるところで行われる。
「その時点で知らないこと」は、
知らないことを保留する狙いがない限り、
「その場で補足説明されてセットアップされる」だ。
展開は1/4〜3/4のところでやるのではない。
あるピンチが設定されたら、
それを解決しようとすることすべては展開だ。
三幕構成理論が誤解されがちなのは、
0〜1/4まではセットアップだけをやる、
1/4〜3/4までは展開だけをやる、
のような部分である。
ピンチ!→なんとかして切り抜けた
→さらにピンチ!→なんとかして切り抜けた
…
→ピンチ!→切り抜けた(しかしいくつかはまだ保留)
なんてのを繰り返して30分たったら、
「いつの間にかストーリー全体のセットアップが終わっていて、
センタークエスチョンが提示されている」
というのを一幕と呼ぶに過ぎず、
同様に、
ピンチ→切り抜け…
を何ループかして、
「あと一個」までたどり着くのが、
二幕に過ぎない。
だから、ストーリーというものは、
微視的には、ピンチ→切り抜けの色々にすぎず、
大局的にみて、構成やテーマがある、
というに過ぎない。
だから、
ストーリーテラーは何が上手いかというと、
「大局的なことに目を向ける前に、
ピンチ→切り抜けの繰り返しで、
人を引き続けられる人」
のことだと僕は思うのだ。
その上で、
大局的な構造をつくったり、
世界観や個々のキャラクターをうまくデザインしたり、
名台詞を書いたり、
人生に深く刺さるラストを作ればいいだけなのだ。
それもこれも、
「ピンチ→切り抜け」の細々としたものが面白くないと、
どうにも退屈だと僕は思う。
つまり、
「ピンチ→切り抜け」が、
ストーリーテラーのベースに必要だと思う。
日本料理における、出汁みたいなことだろうか。
そこが不味いと全部が台無しで、
そこが上手ければ、そこそこ全体的にいけるやつ。
それこそが、必要な能力(才能)ではないかと思う。
残酷なようだが、
これを書くのが苦手、あるいは嫌い、
あるいは出来ない人は、
ストーリーテラーには向いてないかも知れない。
世界を文章で書く、描写者には向いていても、
ストーリーを紡ぐ者には向いてないかも知れない。
それくらい大事な基本のキだろうと僕は思う。
そんなもの最初に書いとけや、
と自分で突っ込んでみるかね。
「脚本で最初に何を教えるべきか」
というのはとても難しい。
人生一年生に、最初に何を教えるかと同じくらい難しい。
だからその時々で、一番大事で基本的なことだと思うことを、
こうして書くしかない。
2021年06月22日
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