2021年06月22日

ストーリーテラーとは何が上手い人のことか

絵描きなら、デッサン力や色の感覚、物の構造の観察力。
ピアニストなら、絶対音感やリズム感や、指の力、和音への感性。
役者なら、立居振る舞いや発声や、人間的魅力や解釈力。

ストーリーテラーは何が上手い人のことだろう?

シンキングタイム。
一つだけ絶対に必要なのはなに?


僕は、
「ピンチを切り抜ける様を描くのが上手い人」
だと思うんだよね。

全体の構成力、
人物の描写やキャラの立ち方、
言葉の感性、
社会や人生への洞察力、
キャッチーであること、
尺に対する感覚、
感情移入のうまさ、
どんでん返し力、
テーマとモチーフの選び方、
なども必要だと思うけど、
どれか一つだけ本質的なものを選べと言われたら、
「ピンチとその切り抜けをうまく書く力」
だと思う。

ピンチと切り抜けはこの際セットね。


面白い週刊漫画は、
「大ピンチ!一体どうなる!?次週!」
でヒキを作って、
次週にその解決を描き、
「面白かった!」
と言わせる。
そしてまた新たなピンチに!
の連続だ。

それが面白いストーリーの条件だと僕は思う。


ピンチや切り抜けのないものは?
いわゆる日常系というやつ。
そんなハラハラしなくていいから、
ゆるゆるキャッキャやってるキャラを眺めるのが幸せ、
みたいなやつ。
それは猫動画と僕は同じで、
ストーリーではないと思う。
それはキャラクターコンテンツであり、
ストーリーテラーの出番ではない。

よく出来た日常系は、
実はきちんとストーリーが出来ていたりするのだが、
そもそも日常系を求める人が、
ストーリーを求めているかどうかは曖昧だ。
そもそも「意味の世界から逃避したい」という目的を叶えに、
そこに来ているのだから、
ストーリーを用意するのは無粋という考え方すらある。

ネトフリのストーリーはハラハラドキドキして疲れるから、
だらだらと見る日本のバラエティぐらいが丁度いい、
という説もある。
YouTubeはそれに答えるキャラクターコンテンツだともいえる。
だって他人のやってみたとかどうでもいいもんね。
「この人がやるから見てみよう」という、
やることに紐づいたものではなく、
やる人に紐づいたものになってる。
それって猫動画と同じだよな。


それとは別個に、
面白いストーリーというジャンルがあると思うことだ。

そして、ストーリーものが、
全てのコンテンツの中で、
最強のコンテンツかどうかは分からない。
それくらいの立場でいるくらいが、
ストーリーそのものを俯瞰できると思う。

僕はストーリーこそ人類の至高の芸術だと思うけど、
猫動画でしか癒せない人は確実にいて、
そこにストーリーは届かないとも思っている。



で、本題。

ストーリーの面白さは、
ビジュアルではなく(ラジオドラマや小説に面白いストーリーがある)、
世界観でもなく(世界観だけ良くてクソみたいな映画はたくさんある。
「落下の王国」でもあげておこうか)、
ましてやキャラクターでもなく(同様に、
「キャシャーン」のようにキャラデザは最高なのに、
クソみたいなストーリーは存在する)、
感情移入の深さでもない(同様に、
冒頭30分最高の感情移入なのに以降クソの「かいじゅうたちのいるところ」
をあげておこうか)。

何がストーリーの本体か。

「絶体絶命のピンチ!」と、
「そうやって切り抜けるのか!うまい!」
の連続体だと、
僕は思うのだ。

つまりセットアップと展開だ。

セットアップは最初1/4にやるだけのことではない。
あらゆるところで行われる。
「その時点で知らないこと」は、
知らないことを保留する狙いがない限り、
「その場で補足説明されてセットアップされる」だ。

展開は1/4〜3/4のところでやるのではない。
あるピンチが設定されたら、
それを解決しようとすることすべては展開だ。

三幕構成理論が誤解されがちなのは、
0〜1/4まではセットアップだけをやる、
1/4〜3/4までは展開だけをやる、
のような部分である。

ピンチ!→なんとかして切り抜けた
→さらにピンチ!→なんとかして切り抜けた

→ピンチ!→切り抜けた(しかしいくつかはまだ保留)
なんてのを繰り返して30分たったら、
「いつの間にかストーリー全体のセットアップが終わっていて、
センタークエスチョンが提示されている」
というのを一幕と呼ぶに過ぎず、
同様に、
ピンチ→切り抜け…
を何ループかして、
「あと一個」までたどり着くのが、
二幕に過ぎない。


だから、ストーリーというものは、
微視的には、ピンチ→切り抜けの色々にすぎず、
大局的にみて、構成やテーマがある、
というに過ぎない。


だから、
ストーリーテラーは何が上手いかというと、
「大局的なことに目を向ける前に、
ピンチ→切り抜けの繰り返しで、
人を引き続けられる人」
のことだと僕は思うのだ。

その上で、
大局的な構造をつくったり、
世界観や個々のキャラクターをうまくデザインしたり、
名台詞を書いたり、
人生に深く刺さるラストを作ればいいだけなのだ。

それもこれも、
「ピンチ→切り抜け」の細々としたものが面白くないと、
どうにも退屈だと僕は思う。


つまり、
「ピンチ→切り抜け」が、
ストーリーテラーのベースに必要だと思う。
日本料理における、出汁みたいなことだろうか。

そこが不味いと全部が台無しで、
そこが上手ければ、そこそこ全体的にいけるやつ。

それこそが、必要な能力(才能)ではないかと思う。


残酷なようだが、
これを書くのが苦手、あるいは嫌い、
あるいは出来ない人は、
ストーリーテラーには向いてないかも知れない。

世界を文章で書く、描写者には向いていても、
ストーリーを紡ぐ者には向いてないかも知れない。

それくらい大事な基本のキだろうと僕は思う。


そんなもの最初に書いとけや、
と自分で突っ込んでみるかね。
「脚本で最初に何を教えるべきか」
というのはとても難しい。
人生一年生に、最初に何を教えるかと同じくらい難しい。

だからその時々で、一番大事で基本的なことだと思うことを、
こうして書くしかない。
posted by おおおかとしひこ at 01:05| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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