一定の数、ミリオタがいる。
ガン、ナイフ、武器マニアもいる。
何故人は兵器が好きなのだろう。
僕は、「簡単に人の格を上げるから」だと思う。
つまりご都合主義である。
強さの序列に男はとても興味がある。
これは本能的なものだ。
男社会というのは強さの順に並んでいて、
猿山のような秩序を持っている。
(嫌な上司は殴れば倒せる、というのを皆我慢して、
肉体的な序列を我慢して社会的序列に甘んじている)
上に上がるのは、ひとつ上を倒したときか、
大きな敵を倒して群れの中で強さをアピールしたときか、
ひとつ上が死んだときだけだ。
秩序はほとんど固定していて、
めったにランキングが変わることがない。
年単位は同じである。
兵器は、それを飛び級にするチートだ。
肉体を鍛えて物理的に強くなるには、
年単位の厳しい自己鍛錬が必要で、
その根性があるやつなら、
今弱いのではなく、そこそこのランクにすでになっている。
今下のランクにいるやつは、
そういう根性がなかったやつで、
将来的にもランクが上がる見込みのない者だ。
そういうやつが上に上がるには、チートの力を借りなければならない。
そのときに、兵器というのは魅力的に映るわけだ。
兵器の美しさは実用的な美を持っている。
ただ美しいのとは違い、
流線型であるとか、武骨だが実用的であるとかだ。
その「使える」という感覚が、
人を魅了する。
ナイフの切っ先に、戦闘機の駐機している姿に、
戦車の大砲に、「使える」という感覚がみなぎるのを見て、
自分が強くなった気になるわけだ。
ネットゲームでチートが問題になっているらしい。
チートとはプログラムを改造してしまい、
もとのプログラムだけで勝負せずに、
ずるをすることだ。
チートをしているのか、ほんとうに上手いのかは、
見た目からは分らない。
だからチートはずるい行為である。
ばれない犯罪なら、してもかまわないという陰湿さがある。
兵器は、これに近い感覚を得ることが出来る。
ほんとうに使うかは置いといて、
一気に不利を有利にしたときのような快感を、
見るだけで味わうことが出来る。
猿山の序列という本能と、
もはやすぐには序列の上にいけないという現実と、
それをチートできる感覚と。
このみっつが、兵器がなぜ人を魅了するかということだ。
チー牛が兵器が好きなわけではない。
男なら誰でも好きなだけだ。
抗えるのは、
「自分を鍛えた結果、
武器に頼らなくても生きていけるだけの自分を武器にできた人」
だけだろう。
この心理を利用して、シナリオを書くことが出来る。
ミリタリーやナイフにする必要はない。
別のチート兵器をつくればいいだけのことだ。
「ベルセルク」におけるベヘリット(グリフィスが発動させた動機)、
ドラマ風魔の黄金剣(壬生の奪った動機)、
などが代表的だろうか。
それぞれ、人が力を欲して、間違った使い方になるようになっている。
悪に魅入られる人などいない。
魅入られた時点で、その人は自分が悪に染まっていることなど分らなくなる。
悪は客観的にしかわからず、主観的にはわからない。
「私は悪くない」といつも人は思っていて、
力を手に入れるのは当然の権利だと、いつも思っている。
そうした人のこころの本質のようなものを、
兵器を見ながら考えるのだ。
物語の中でチートに手を出した者は、
たいてい最後に破滅する。
主観が客観に反転するからだろう。
破滅しない物語は何か、というと、
それが御都合主義なんじゃないかな。
2021年06月23日
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