2021年06月23日

何故人は兵器に魅了されるのか

一定の数、ミリオタがいる。
ガン、ナイフ、武器マニアもいる。
何故人は兵器が好きなのだろう。


僕は、「簡単に人の格を上げるから」だと思う。
つまりご都合主義である。

強さの序列に男はとても興味がある。
これは本能的なものだ。
男社会というのは強さの順に並んでいて、
猿山のような秩序を持っている。
(嫌な上司は殴れば倒せる、というのを皆我慢して、
肉体的な序列を我慢して社会的序列に甘んじている)
上に上がるのは、ひとつ上を倒したときか、
大きな敵を倒して群れの中で強さをアピールしたときか、
ひとつ上が死んだときだけだ。

秩序はほとんど固定していて、
めったにランキングが変わることがない。
年単位は同じである。


兵器は、それを飛び級にするチートだ。
肉体を鍛えて物理的に強くなるには、
年単位の厳しい自己鍛錬が必要で、
その根性があるやつなら、
今弱いのではなく、そこそこのランクにすでになっている。
今下のランクにいるやつは、
そういう根性がなかったやつで、
将来的にもランクが上がる見込みのない者だ。

そういうやつが上に上がるには、チートの力を借りなければならない。

そのときに、兵器というのは魅力的に映るわけだ。

兵器の美しさは実用的な美を持っている。
ただ美しいのとは違い、
流線型であるとか、武骨だが実用的であるとかだ。
その「使える」という感覚が、
人を魅了する。
ナイフの切っ先に、戦闘機の駐機している姿に、
戦車の大砲に、「使える」という感覚がみなぎるのを見て、
自分が強くなった気になるわけだ。


ネットゲームでチートが問題になっているらしい。
チートとはプログラムを改造してしまい、
もとのプログラムだけで勝負せずに、
ずるをすることだ。
チートをしているのか、ほんとうに上手いのかは、
見た目からは分らない。
だからチートはずるい行為である。
ばれない犯罪なら、してもかまわないという陰湿さがある。

兵器は、これに近い感覚を得ることが出来る。
ほんとうに使うかは置いといて、
一気に不利を有利にしたときのような快感を、
見るだけで味わうことが出来る。

猿山の序列という本能と、
もはやすぐには序列の上にいけないという現実と、
それをチートできる感覚と。
このみっつが、兵器がなぜ人を魅了するかということだ。
チー牛が兵器が好きなわけではない。
男なら誰でも好きなだけだ。

抗えるのは、
「自分を鍛えた結果、
武器に頼らなくても生きていけるだけの自分を武器にできた人」
だけだろう。



この心理を利用して、シナリオを書くことが出来る。

ミリタリーやナイフにする必要はない。
別のチート兵器をつくればいいだけのことだ。
「ベルセルク」におけるベヘリット(グリフィスが発動させた動機)、
ドラマ風魔の黄金剣(壬生の奪った動機)、
などが代表的だろうか。
それぞれ、人が力を欲して、間違った使い方になるようになっている。

悪に魅入られる人などいない。
魅入られた時点で、その人は自分が悪に染まっていることなど分らなくなる。
悪は客観的にしかわからず、主観的にはわからない。
「私は悪くない」といつも人は思っていて、
力を手に入れるのは当然の権利だと、いつも思っている。

そうした人のこころの本質のようなものを、
兵器を見ながら考えるのだ。


物語の中でチートに手を出した者は、
たいてい最後に破滅する。
主観が客観に反転するからだろう。

破滅しない物語は何か、というと、
それが御都合主義なんじゃないかな。
posted by おおおかとしひこ at 01:44| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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