2021年06月26日

教訓のある話を書いてみよう

テーマを書く練習のひとつ。


テーマはそもそもなんでもいいのだが、
テーマを考えると、
どうしても難しくなってしまう。
「世間に言いたいこと」とかを選ぶと、
大きな話になりがちで、
自分の書ける、小さなレベルを逸脱して、
なんだか肩がこるものになりがちだ。

だから、もっと小さいテーマを練習してみるとよい。

そのためには、
自分の、
「さんざんな目にあった話」なんてのを思い出して、
「こうしておくべきだった」
「事前にこれを考えておくべきだった」
なんて反省をしてみるとよい。

そんなこと、日常でたくさんあるだろうから、
そして自分が出来る範囲の改善を考えるから、
「自分に書ける話」である可能性がある。

反省したうえで、こうするべきである、
というのは教訓だ。
たとえば、
「ぼったくりに合わないためには、
最初に料金を確認して合意をとってから入店する」
というような、
自分でもできそうな教訓を選べるわけだ。

で、じゃあ、ぼったくりの飲み屋の話を書けば、
そのまま体験談になるわけだが、
そうではなくて、ずらしていく。

たとえば料金確認はそのまま置いといて、
別業種の店の話にするとか、
あるいは逆にぼったくりする側を主役にした話にしたりする。
店の話にしなくてもよい。
まったく別の仕事の話にしてしまうとよい。
二時間の大きな話にする必要はない。
これは練習だから、15分とかのショートに収まればよい。

話をぼったくりにしようが、
まったく別の話にしようが、
「事前確認を怠ったため、
破滅する男の話」
にすることは簡単にできる。
逆に、
「事前確認をわざとできないようにして、
多額請求する詐欺の話」
にもすることが出来る。
バッドエンドストーリーで、教訓を話すわけだ。

逆にハッピーエンドならどうするべきか。
「事前確認をしたため、
綱渡りに成功した話」
になるだろうか。
こっちのほうが難しいね。
破滅する話は簡単に書ける。
カオスへの転落だからだ。
しかし成功する話は、
ある種の美しい秩序をもって終わらないといけない。
だから、見事な成功話をつくらないと、
説得力がないわけだ。

これが自分の書けない範囲の教訓だと書けないが、
今回はぼったくりに合わないため、
という自分にもできる範囲だから、
おそらく自由に書けるだろう。

どこをクライマックスにするだろうか。
ぼったくりをしてくるやつに気づき、
事前交渉する場面がクライマックスになるだろうか。
それとも、一回引っかかって痛い目に合うが、
ぼったくりし返す場面になるだろうか。

そのへんは自由に考えることが出来るだろう。
自分の書ける範囲ならば、
このように可塑性があり、
いくらでも工夫することが出来るわけだ。

書ける範囲だから、
主人公や敵のキャラクターを工夫したりすることもできるし、
伏線を仕込んだり、世界観を工夫することもできるだろう。
前から書きたかった要素を入れ込む余裕もできるわけだ。
(前から書きたかった要素から考えると、
急に煮詰まるが、
ある骨格が先にあり、
そこに前から書きたかった要素を加えることは、
比較的簡単にできるぞ)

現代の話であるだろうが、
未来世界のSF仕立てにすることも、
中世の話に読み替えることも、
男主人公を女主人公にすることも、
若者の話を子供や老人の話にすることも、
アレンジはいくらでも可能になるだろう。

こうして、
自分の教訓をもとに、
いろんなことを編むことは、
簡単にできる。
痛い目にあったときほど書けるわけだから、
芸の為にいろんな経験を積むことは、
悪いことではないわけなのだ。

ひどい目になるべく会おうぜ。
「ネタになるぞ」とほほ笑むのはそういうときだ。
珍しいひどい目に会い、
じゃあどうすればよかったのか反省して、
教訓を導くことが、
実は物語の芯になりえるわけだ。


誰も知らない教訓を。
誰も知らない展開を。

あなたはそうした経験をしているなら強い。
それを芯に雪だるまをつくれるぞ。

もっとも、雪だるまをつくる技術が必要だ。
posted by おおおかとしひこ at 00:42| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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