テーマを書く練習のひとつ。
テーマはそもそもなんでもいいのだが、
テーマを考えると、
どうしても難しくなってしまう。
「世間に言いたいこと」とかを選ぶと、
大きな話になりがちで、
自分の書ける、小さなレベルを逸脱して、
なんだか肩がこるものになりがちだ。
だから、もっと小さいテーマを練習してみるとよい。
そのためには、
自分の、
「さんざんな目にあった話」なんてのを思い出して、
「こうしておくべきだった」
「事前にこれを考えておくべきだった」
なんて反省をしてみるとよい。
そんなこと、日常でたくさんあるだろうから、
そして自分が出来る範囲の改善を考えるから、
「自分に書ける話」である可能性がある。
反省したうえで、こうするべきである、
というのは教訓だ。
たとえば、
「ぼったくりに合わないためには、
最初に料金を確認して合意をとってから入店する」
というような、
自分でもできそうな教訓を選べるわけだ。
で、じゃあ、ぼったくりの飲み屋の話を書けば、
そのまま体験談になるわけだが、
そうではなくて、ずらしていく。
たとえば料金確認はそのまま置いといて、
別業種の店の話にするとか、
あるいは逆にぼったくりする側を主役にした話にしたりする。
店の話にしなくてもよい。
まったく別の仕事の話にしてしまうとよい。
二時間の大きな話にする必要はない。
これは練習だから、15分とかのショートに収まればよい。
話をぼったくりにしようが、
まったく別の話にしようが、
「事前確認を怠ったため、
破滅する男の話」
にすることは簡単にできる。
逆に、
「事前確認をわざとできないようにして、
多額請求する詐欺の話」
にもすることが出来る。
バッドエンドストーリーで、教訓を話すわけだ。
逆にハッピーエンドならどうするべきか。
「事前確認をしたため、
綱渡りに成功した話」
になるだろうか。
こっちのほうが難しいね。
破滅する話は簡単に書ける。
カオスへの転落だからだ。
しかし成功する話は、
ある種の美しい秩序をもって終わらないといけない。
だから、見事な成功話をつくらないと、
説得力がないわけだ。
これが自分の書けない範囲の教訓だと書けないが、
今回はぼったくりに合わないため、
という自分にもできる範囲だから、
おそらく自由に書けるだろう。
どこをクライマックスにするだろうか。
ぼったくりをしてくるやつに気づき、
事前交渉する場面がクライマックスになるだろうか。
それとも、一回引っかかって痛い目に合うが、
ぼったくりし返す場面になるだろうか。
そのへんは自由に考えることが出来るだろう。
自分の書ける範囲ならば、
このように可塑性があり、
いくらでも工夫することが出来るわけだ。
書ける範囲だから、
主人公や敵のキャラクターを工夫したりすることもできるし、
伏線を仕込んだり、世界観を工夫することもできるだろう。
前から書きたかった要素を入れ込む余裕もできるわけだ。
(前から書きたかった要素から考えると、
急に煮詰まるが、
ある骨格が先にあり、
そこに前から書きたかった要素を加えることは、
比較的簡単にできるぞ)
現代の話であるだろうが、
未来世界のSF仕立てにすることも、
中世の話に読み替えることも、
男主人公を女主人公にすることも、
若者の話を子供や老人の話にすることも、
アレンジはいくらでも可能になるだろう。
こうして、
自分の教訓をもとに、
いろんなことを編むことは、
簡単にできる。
痛い目にあったときほど書けるわけだから、
芸の為にいろんな経験を積むことは、
悪いことではないわけなのだ。
ひどい目になるべく会おうぜ。
「ネタになるぞ」とほほ笑むのはそういうときだ。
珍しいひどい目に会い、
じゃあどうすればよかったのか反省して、
教訓を導くことが、
実は物語の芯になりえるわけだ。
誰も知らない教訓を。
誰も知らない展開を。
あなたはそうした経験をしているなら強い。
それを芯に雪だるまをつくれるぞ。
もっとも、雪だるまをつくる技術が必要だ。
2021年06月26日
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