面白いトリックショットがあったので。
> RT とんでもねえカットだなおい……ゼメキスのコンタクトをアナログでやってるような どうやって撮ってるの???
https://mobile.twitter.com/tomonomad/status/1406116294286462977
めまいショット(ズームイン+ドリーバック)から、
レンズのミリ数を変えずにドリーバック。
技術的に驚嘆するべき二つのポイントがある。
めまいショットを知らない人用に解説。
ヒッチコック「めまい」で多用され、有名になったショット。
ズームイン+ドリーバック、
ズームアウト+ドリーイン、
のどちらもめまいショットと言われる。
ふつうは、
被写体のサイズを変えないように、
ズーム速度とドリー速度とフォーカス送りを、
全部手動でシンクロさせることで、
「被写体は動かないのに、背景だけ動く
(拡大または縮小していく)」
ショットを作るのに使われる。
「めまい」では、高所恐怖症の男が、
塔から下を覗き込んだ時、
まるで落ちるような感覚(ズームイン+ドリーバック)、
または、
まるで忌避するような感覚(ズームバック+ドリーイン)、
を表現するのに使われる。
速度が速いほどショックが強く、
ゆっくりなほどじわじわと効く心理を表現できる。
(ちなみにその塔の主観はセットで作られ、
上下の目線を前後方向にして作られている)
これは邦画でも「逆ズーム」というカメラワークで知られ、
さまざまな心理や効果を表現するのに使われる。
拙作「いけちゃんとぼく」では、
学校に行きたくないヨシオの気持ちを表現するように、
校門の前でめまいショットを効果的につかった。
ズームバックとズームインのどっちを使うかは、
背景が遠ざかる(望遠側→広角側、すなわちズームバック)、
背景が近づく(広角側→望遠側、すなわちズームイン)、
のどちらを使いたいかで決めると良い。
ちなみに昨今では、
三つのワークを合わせるのが難しいため、
沢山使うならグリーンバックで合成してしまう、
という強引なやり方もある。味がなくなるけど。
さて、当のショット。
最初、舞台を広く見せているから、
広角側を使っていることがわかる。
そこから背景が近づく(圧縮効果)があるので、
ズームインしていることがわかる。
ドリーバックとズームインはシンクロさせず、
ドリーの方を遅めにすることで、
被写体がどんどん大きくなっている。
ここでカツラが取られたタイミングで舞台の緞帳が落ち、
同じレンズのままドリーバック。
鏡の中の世界で、ここは控え室(?)だったとわかり、
我々は驚く仕掛けだ。
ポイントは二つ。
1. 転換後、鏡の大きさを変えないように、
望遠側のレンズのままドリーバックすること。
「あんな狭い鏡に、さっきは広い舞台が映ってたのに?」
と驚かせることがポイントだ。
最初は目一杯鏡に近づくことで、
写像の世界をかなり広く見せておいて、
転換後は「あんなに狭い鏡に?」
と「?」を作ることがポイントである。
だから転換後のドリーバックは、
望遠レンズのまま部屋いっぱいを見せなければならないため、
相当高速で長距離を移動する必要がある。
なので後半のドリーバックは、
結構レールがガタついていることが観察される。
この当時のレールは金属ではなく、
木+ロウだったはずなので、
木の継ぎ目の所でどうしても振動が起こってたはず。
で、そのトリックを見破られないように、
転換前に一度揺れがあるのも、ひょっとしたらわざとかも。
さっき揺れてたから、今回の揺れも気にならない、
みたいな狙いで先に揺らしてたとしたら、
なかなかの業師だと僕は思う。
ポイントの二つ目は、
2. カツラを外す転換点だ。
我々は舞台の上だと思っているから、
そこでカツラを外すとぎょっとする。
そんなの舞台でやっちゃいけないよ、とびっくりするわけだ。
そのびっくりをきっかけに転換しているのだ。
良く見ると、カツラをはずすために両脇から人が来ていて、
カツラを外した瞬間に舞台の緞帳が落とされて、
部屋の後方のセットに代わっている。
舞台の背景は多分緞帳だろう。
一瞬でストンと落とせるから、
速い場面転換にもってこいだ。
刺繍された布タイプなら、日本のお家芸だし。
ふつうならばベニヤ板に絵を描くところだが、
これを緞帳にすることによって、
素早い場面転換が可能になるわけだ。
演劇の速い場面転換のテクニックをそのまま持ってきたわけだね。
カツラを外す人が、一回背景を覆っているのもポイント。
これはシャッターというテクニックで、
目を塞いでいる間に色々やれる。
ぎょっとさせた隙に後ろで何かを仕込むのは、
マジックの基本である。
カツラを外すのがなく、
単に緞帳が落ちるだけであれば、
「なあんだ」とバレバレになる。
しかし一度カツラに目線誘導することで、
「いつの間に?!」をつくることができるわけだ。
セットを上から見てみよう。
これはイマジナリラインの前後に、
二つのセットをつくったものである。
イマジナリラインとは、
舞台と観客をわける架空の線である。
その線から向こうは「世界の中」、
その線から手前は「スタッフのいる場所」という風に、
分けられている。
カメラ前、カメラ後ろとも言われる。
我々はカメラ後ろから、カメラ前をつくる仕事である。
で、ふつうはカメラ後ろにはスタッフの仕事をするスペースがあるのだが、
そこにもセット(舞台の緞帳)を組み、
鏡で写して二つを同時に撮ろうというのが、
このショットの野心である。
もちろん、緞帳の後ろには、
控室の壁や障子が作られているので、
正確には、
カメラ前(控室)、
カメラ後ろ1(舞台の緞帳)、カメラ後ろ2(控室の切り返し)、
の三つの美術セッティングが必要だ。
おそらくドーリーバックが長いストロークなため、
舞台の緞帳は控室の左半分程度で、
カメラが下がる空間を確保しているはずだ。
これらは、
撮影所で、
監督、カメラマン、美術、照明部が、
一体となって仕事をしていたからこそ生まれたショットだ。
技術的にはトランジション(シーンとシーンの切れ目)を、
鏡を使ってワンカットで繋ごうぜ、
ということなんだけれど、
それを思いついても、現場で「これなら出来るのでは?」
という試行錯誤に至ることは、
事前に頭の中で考えていてもなかなか難しい。
鏡の幅がどれくらい狭くてもOKなのか、
背景の緞帳はストンと落ちるのか
(当初はベニヤに絵を描いていて、
スライドさせたが間に合わないため、
縦方向に動かないのかとなって、緞帳にたどり着いた、
と予測できる)、
などは、
現場でやってみないと分からない要素だからだ。
事前計画をし、プレビジュアライゼーションをしないと、
承認されない今のやり方では、
決して生まれ得ない、
現場からの発想のショットである。
監督が、
「鏡を使ってワンショットでトランジション出来ないだろうか?」
と投げかけ、
カメラマンがめまいショットを組み合わせてドリーをしよう、
と提案して、
美術が背景を緞帳にしよう、
と現場でやり取りしないと、
これを作ることはできない。
なぜならレファレンスがないからだ。
しかしレファレンスがなくとも、
原理を理解すれば「できるだろ」は判断できる。
具体的に何尺レールが必要で、
何秒の芝居ができるのかは、
現場で工夫しないと難しく、
それがゆえにプリビジュアライゼーション不可能なもののひとつである。
こうした豊かさを、
日本映画は失っている。
決まりきったものを「処理」して、
右から左に流すものばかりで、
「こうしたら面白いんじゃない?」を、
考えて、試して、失敗する余裕が失われている。
失わせたのは「合理化」だ。
合理化は、ある目的のために最低コストを計算することだけど、
目的が定まってないものは合理ができない、
というジレンマを抱えている。
合理化をすすめるあまり、
余裕やのりしろを持つことの優位性も、
議論されなくなった。
このショットは、
鏡を使うことで、
イマジナリラインの向こう側と、
手前側を利用する、
ふつうのカメラワークにはないウルトラCだ。
会議室にいては決して思いつき得ない、
現場でうろうろしてる歩幅感覚でしか、
思いつき得ないショットである。
そうした「撮影所の感覚」が、
とても羨ましい。
僕はそれこそが、映画作りだと思っている。
ちなみに脚本ではこれらを一切書く必要はない。
○舞台で踊る女優
○控室の鏡を虚ろに見ながら、自分の顔を見る彼女
周りには沢山の人がいる。
みたいに書くだけでよい。
ざっくりいうとスタッフはカメラの右後ろにいます。
ここがデッドアングルになっていますね。
部屋に対してやや右斜めにレールが引いてあります。
ゆえに鏡が写す方向は左斜め後方になります。
それを悟らせないように、
吉永小百合はカメラから見て上手に目線を出すようにして、
右側に空間があるように見せかけています。
実際はぎりぎりでしょう。
>右側に空間があるように見せかけています。
ああ、目線の方向にはそういう理由があるんですか。
これは大岡さんみたいなプロじゃないと解析できないカットですね……。