複雑な現実を、幾何学で整理したような気になるからでは。
表現とは、世界をそのまま写像することではない。
何かを強調したり、何かを省略することで、
表現というのは成立する。
それをそのまま写す写真ですら、
ピクセルに落ちているし、
陰影が落ちている(ダイナミックレンジ及びRGB)し、
そもそも四次元から二次元に落ちている。
その落ちたときでも成立するように、
強調と省略がある。
そもそも適当に写真を撮ってもよくわからない写真になることは、
これだけ写真が普及すれば理解されてきたことだと思う。
何かしらポーズを取ったり、分りやすくしなければならない。
(逆に、盛ることもできる)
デザインとは、
世界をとらえなおすための方法論だと僕は思う。
複雑な世界を、
「このように単純化してとらえました」
というプレゼンであると。
だから単純化の美しさとして、
幾何学的な要素が使われると思っている。
幾何学によって、
世界は整理された、と主張するのが、
デザインだといっても過言ではない。
ピクトグラムをはじめ、
単純な幾何学的な図形ほど、
世界をうまく抽象化したものだと勘違いされやすい。
ビジュアル上そう思われがちだからだ。
実際、それが世界の近似、もしくは整理になっているかどうかは、
それが示す世界の豊かさや、
何が近似されて世界として成立しているか、
ということを検証しないとなんとも言えないところだろう。
たとえばキーボードという複雑なものを、
格子配列のような、
幾何学的なものに再整理するという流れがある。
しかし、これは最高の整理ではないと思う。
我々の手指の動きは幾何学的ではないからだ。
つまり、格子配列は見た目は整理されているように見えるだけで、
現実には、整理の仕方としては優秀なものではない。
しかし見た目が、
「このように整理しましたよ」
と分りやすいため、
視覚的に人気があるデザインである。
ぱっと見で人は騙されやすい。
世の中には成功したデザインと失敗したデザインがある。
成功したものは、
世界を上手に幾何学として整理しなおしたもの。
失敗したものは、
世界を幾何学的に整理できなかったもの
(スーパーのチラシ状態)、
あるいは、
幾何学的に整理したが、世界の近似としては不十分なもの、
である。
表現とはつまり整理である。
その整理の仕方が美しく、
かつ妥当ではなくてはいけない。
あなたが世界をどのように整理するかが表現である。
それが美しく整理されているか、
それが妥当に整理されているか、
ふたつのチェックが必要だ。
幾何学的に美しく整理されていると、
少なくともビジュアル予選は突破できる。
そのあとの本審査、妥当性で落とされるかもしれないが。
幾何学的に整理されていないと、
まずその予選を突破できないことが多いけどね。
世界は幾何学で近似できて、
幾何学で整理できる。
それが世界モデルとして妥当なとき、
あるいは世界モデルとして新しくかつ妥当なとき、
その表現はすばらしいと言えるだろう。
デザインは視覚的なものや機能的なものだけだが、
ストーリーはもっと複雑なことを扱う。
たとえば人生だ。
人生は幾何学で近似できるか?
ということを、物語はやっているのだ。
2021年06月29日
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