リライトには二種類ある。
それを前向きと後ろ向きということにする。
別に、ポジティブな気持ちとか、ネガティブな気持ちの、
前向き、後ろ向きということではない。
攻めと守り、という言い方に変えてもいいかもしれない。
後ろ向きのリライトは、
矛盾を直すとか、
ミスを除去するとか、
誤解を招く表現を見直すとかのことだ。
誤字脱字の追放は、
もっとも後ろ向き(守り)のリライトである。
分りやすく表現しなおすことも、
後ろ向きかもしれない。
万人にとって分る表現などないのだが、
待ちを広くすることは、
守りという点ではいいことだろう。
前向きのリライトは、攻めのリライトである。
つまり、
もっと面白くならないのか?
というリライトだ。
ぐだぐだしているところをカットする、
煩雑なところをよりシンプルにして強くする、
まったくこれまでなかった要素にまとめて、
よりシンプルに強くする、
などである。
後ろ向きのリライトは誰でもできる。
チェッカーがいればよい。
なんならAIでもできると思う。
(こういうわかりやすい例がある、
こういう誤解を招く表現の例がかつてあった、
などと自動検索して例示することすら可能かもしれない)
しかし、前向きのリライトは、
作家にしかできない。
作者という人間は、
ほんとうは前向きのリライトのためのアドバイスが欲しい。
いまいちだと思っていて、
それを突破するにはどうすればいいかわからないからだ。
ところが、
そういう人に、
後ろ向きのアドバイスだけをする人がいる。
それは母親にいい子でいろと言われ続ける不快感しか生まない。
世の中に出すものだから、
きれいに整えなければならないということはわかるけど、
それはあくまで後ろ向きで、
前向きのスピードを遅らせるなら、
僕はいらないと思っている。
到達速度を上げるリライトをするべきだ。
遅らせるリライトをするべきではない。
作者というのは、
ついつい後ろ向きのリライトをしがちである。
よけいな説明やエピソードを足して、
本来強く濃くするためのリライトを放棄してしまう現象。
要素を足したことで、
不安が解消した気になっているリライト。
そうではない。
「それは後ろ向きのリライトにすぎず、
前向きのリライトではない」
と指摘することが、
ほんとうのリライトのためのアドバイスである。
「じゃあどうすればいいのか」
という答えがほんとうは欲しいが、
それは作者が考えるべきだろう。
後ろ向きばかりする人と、
仕事をしたいと思うかね。
世の中のプロデューサーは、
後ろ向きのアドバイスしか最近していないのではないか。
クレームを未然に防ぐ恐怖で動いているからね。
遠く、速く、強く、大きく。
作品をそうするアドバイスでないかぎり、
一緒に仕事をしたとはいえないと思うよ。
2021年06月30日
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