あなたは一体何を書こうとしているのか?
それが分らない限り、書ききれないと思う。
それを自分で問う方法がある。
「最終的に、観客はどういう満足を得るのか?」
だ。
どういう満足を与えるのか、
という問いなのだが、
与える、というと偉そうになってしまうので、
「観客はどういう満足を受け取るのか?」
と受け取り目線で考えたほうが建設的だ。
アクション映画なら、すごいバトルやぎりぎりの危険スタントだろうか?
恋愛映画なら、イケメンや美女の眼福や、
ドキドキするシチュエーションだろうか?
旅行映画なら、見たことのない異文化だろうか?
それで満足するかな。
僕はそういうガワで満足する時代は終わっていると思っている。
同様の満足は、
すでに映画じゃなくても与えられるからだ。
僕は、物語ならではの満足が重要だと思っている。
つまり、感情移入とテーマである。
架空の世界で、
まるでほんとうにあったかのように思うことと、
それに感情移入してしまい、主人公はまるで自分のようだと入れ込むことと、
それがカタルシスを経験することで、
まるで自分も生まれ変わったかのように思うこと。
それが物語にしかない満足だと思う。
ところが、
この満足を言葉に表すことは大変困難である。
だが、困難だからといって、逃げることは推奨されない。
表現できていなくてもいいから、
そのことを言葉にしてみなさい、
というのが本題だ。
それを言葉にすることで、
テーマは何か、
ということを明瞭にしやすくなるからだ。
物語の、ほんとうの満足とは、
テーマに納得して、
人生が影響されることである。
その満足が、
どのようなメカニズムで起きるのか、
ということを、
説明しようとすることが、
自分のストーリーを明らかにすることだと思う。
企画書にかけ、というつもりはない。
自分で説明できるようにしておけ、
ないし、
自分で把握しておけ、
ということを言っている。
それが出来るようになっていると、
「自分はいったいなにを書こうとしているのか」
「自分はいったいなにを書き終えたのか」
「自分はいったい現状を、最終的にどういうものに書き直したいのか」
ということを具体的に把握できると思う。
観客は、
どういう満足を得て家に帰るのか。
その後、
人生で折々思い出して、
どういうことをそれに対して思うのか。
百年後は。
誰がいつどう見ても、
このような満足を得られるのである、
そういうことを客観化してみるのだ。
「この作品を見た人は、
以下のような満足を得られます」
からはじめて、満足の内容をプレゼンしてみたまえ。
そして、そのようになっているかを確認したまえ。
「福島の復興をアピールし、
史上最もコンパクトな五輪という満足を得られます」
というプレゼンにならないようにな。
2021年07月01日
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