2021年07月01日

満足というプレゼン

あなたは一体何を書こうとしているのか?
それが分らない限り、書ききれないと思う。
それを自分で問う方法がある。
「最終的に、観客はどういう満足を得るのか?」
だ。


どういう満足を与えるのか、
という問いなのだが、
与える、というと偉そうになってしまうので、
「観客はどういう満足を受け取るのか?」
と受け取り目線で考えたほうが建設的だ。

アクション映画なら、すごいバトルやぎりぎりの危険スタントだろうか?
恋愛映画なら、イケメンや美女の眼福や、
ドキドキするシチュエーションだろうか?
旅行映画なら、見たことのない異文化だろうか?

それで満足するかな。

僕はそういうガワで満足する時代は終わっていると思っている。
同様の満足は、
すでに映画じゃなくても与えられるからだ。


僕は、物語ならではの満足が重要だと思っている。

つまり、感情移入とテーマである。

架空の世界で、
まるでほんとうにあったかのように思うことと、
それに感情移入してしまい、主人公はまるで自分のようだと入れ込むことと、
それがカタルシスを経験することで、
まるで自分も生まれ変わったかのように思うこと。

それが物語にしかない満足だと思う。

ところが、
この満足を言葉に表すことは大変困難である。
だが、困難だからといって、逃げることは推奨されない。
表現できていなくてもいいから、
そのことを言葉にしてみなさい、
というのが本題だ。

それを言葉にすることで、
テーマは何か、
ということを明瞭にしやすくなるからだ。


物語の、ほんとうの満足とは、
テーマに納得して、
人生が影響されることである。

その満足が、
どのようなメカニズムで起きるのか、
ということを、
説明しようとすることが、
自分のストーリーを明らかにすることだと思う。

企画書にかけ、というつもりはない。
自分で説明できるようにしておけ、
ないし、
自分で把握しておけ、
ということを言っている。

それが出来るようになっていると、
「自分はいったいなにを書こうとしているのか」
「自分はいったいなにを書き終えたのか」
「自分はいったい現状を、最終的にどういうものに書き直したいのか」
ということを具体的に把握できると思う。


観客は、
どういう満足を得て家に帰るのか。
その後、
人生で折々思い出して、
どういうことをそれに対して思うのか。

百年後は。

誰がいつどう見ても、
このような満足を得られるのである、
そういうことを客観化してみるのだ。


「この作品を見た人は、
以下のような満足を得られます」
からはじめて、満足の内容をプレゼンしてみたまえ。

そして、そのようになっているかを確認したまえ。

「福島の復興をアピールし、
史上最もコンパクトな五輪という満足を得られます」
というプレゼンにならないようにな。
posted by おおおかとしひこ at 00:33| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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