2021年06月25日

想像力の精度

ぼく「Aはどうですかね?」
上の人「よい。そうしよう」

(後日)
ぼく「Aでございます」
上の人「ちょっと違うな。○○で○○なのでは?」
ぼく「ああ、それならA'ですね。(ちょっと直して)A'でございます」
上の人「○○で○○○で○○○なのでは?」
ぼく「それBやんけ。Aいうたやんけおまえ(ブチギレ)」

上の人はなぜブチギレが起こってるかわからない。
とても良くある光景だ。
なぜこれが起こるのだろう。


AとBの区別を、いつもつけていないからだと思う。

提案する側としては、
ABCDを検討した上で、
BCDはないと判断した上で、
ベストのAを持って行っている。

同様に、WXYZの中からXを選び、
αβγの中からγを選び、
A、X、γを提案している。

だからAと言われれば、
BCDの選択肢は最初からないものとして、
Aだけに専念する。

ところが上の人は、
ABCDの区別がつかない。

「Bだと思ってたのにAを持ってこられた」
などとクレームをつけることさえある。


想像力の精度が異なることで起こる現象だ。

「話し合いなさい」というのが結論ではあるものの、
まさかこちらとしては、
AとBの区別がついてないスタートとは思っていないから、
Aの更に細かいバリエーション、A'、A''、A'''…
などについて思い悩み、
その中でもベストをつくることになる。

そしてこれは、こちらの精度が細かいほど、
向こうの精度が荒いほど、
よく起こる。


厄介なことは、
上の人は言語能力が乏しいため、
Bを表現しようとしてAを表現していることが、
とても良くあるということだ。

「Bを頼んだつもりだったが、
AはAでいいね。あるわこれ」
となってくれる人ならいいが、
狭い器量の人ほど、
「俺の思っていたものではない。Bを作り直せ」となる。

最初からBって言えよ、
アレもコレも、
A'からA'''まで悩んだ夜も、全部無駄になったじゃねえか、
とこちらはブチギレ、
向こうもブチギレ、
収拾がつかなくなることはよくある事だ。

めんどうくさいのは、
客商売だとこちらが折れて、
嫌々ほがらかにBを作り直さなければならないことだ。
この非対称性が、問題をややこしくしている。

「あ、世の中にはAとBがあり、
AとBはちがうんだ。
AとBの違いで戦う人が世の中にいるんだ」
と学習する機会を、
「Bを作れ」という人は永遠に失う。


そして、金玉の裏まで舐める営業のせいで、
AとBの違いの議論は、
闇に葬られる。

あとで営業を殴れればこちらの気もすむが、
その営業は親会社で、
間に何個も人を挟んでいることがとても多い。

殴られすぎた営業業界の保身システムであろう。


唯一それを防げる場所が、
ファーストコンタクトの場である。

「Aと言われましたが、BCDもあり得たうえでのA?」
と確認すれば、
「以後Aで突き進む」誤りを防げる。

それで曖昧な返事をするやつは、
想像力の精度が荒いやつだと、
僕は判断することにしている。
あとでやってくることを覚悟しながら準備することになる。
そこにコストがかかることを、
注文した人間はわからない。

ファーストコンタクトでそのことがあると、
・あとでBだともめる
・AはAで良いとご笑納いただく
の二つしか結果はない。

「Aといってすいませんでした。以後勉強します」
の結末がない。


これを防ぐ、いい方法があったら教えてくれ。
ワインなら客が謝るのにな。
posted by おおおかとしひこ at 14:55| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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