物語とは煎じ詰めれば逆転劇である。
物語の違いは、逆転劇違いだと言える。
ハッピーエンドを考える。
アンハッピーな状態スタートで、
ハッピーに終わる変化がハッピーエンドの構造だ。
一度ハッピーな状態からアンハッピーに転落して、
そこからハッピーになるのも、
次点の構造だろう。
ただし初期状態以下のハッピーで終わると、
微妙なエンドになるため、
爽快な真のハッピーエンドになるには、
初期状態以上のハッピーになる必要がある。
ということは、最初のブロックをまとめてアンハッピーとして、
アンハッピーからハッピーになる構造の、
変形ととらえることができる。
バッドエンドはどうだろう。
ハッピーからアンハッピーに転落して終わればいいわけだ。
ただ、バッドエンドが娯楽になるか、
という話がある。
人の不幸を見て楽しむのは暗い欲望だから、
一般性を持てない。
せいぜい、大人の一部の娯楽にとどまる。
より広く、強いものになれない。
教訓として、「こんな失敗をしてはいけない、こうするべきなのだ」
となるバッドエンドは見る価値がある。
「笑ゥせえるすまん」などはそうしたものだ。
ただし、苦いコーヒーは大人の味でしかなく、
皆甘いものを求めていることはたしかだ。
ということは一般性があり、
広く伝わり、強いものは、
ハッピーエンドということになる。
で、
アンハッピーからハッピーになる、
ハッピーエンドの構造は、
逆転劇そのものである。
つまり、物語というのは、
たいてい逆転劇の構造を持っているわけだ。
現実に逆転劇はそれほど起こらない。
スポーツの世界ではたまにあるが、
現実の人生ではさらに発生確率がさがる。
だから、逆転劇は面白く見えるのだろう。
「普通ならば失敗していたものが、
こういうことによって、
大逆転劇になったのだ」
となるから、
貴重で、見るべきものになるわけだ。
あなたは、
それを提供しなければならない。
どういうアンハッピーがあるのか?
それがどういうハッピーに終わるのか?
なぜそうなるのか?
つまり、無理や無茶や矛盾がなく、
その逆転劇が成功する理由とは何か?
それを上手に設定して、
しかも嘘のバレバレではなく、
ほんとうにあり得そう、
というレベルに仕上げないと、
「面白い、迫真の逆転劇」にならないだろう。
どんなストーリーでも、逆転劇である。
簡単な逆境をひっくり返すのは、
簡単な逆転劇だ。
無理なものをひっくり返すほど、
劇的になる。
じっくり段階を踏んでじわじわひっくり返すよりも、
一気に一手でひっくり返すほうが、
ドラマチックになる。
そして、そんな難しいものを、
ご都合主義にせず、リアリティあふれるものにしなければならない。
つまり、
あなたの書ける範囲でのリアリティで、
逆転劇のレベルは決まる。
それ以上の無理は、嘘逆転やご都合主義の構造だからね。
誰にでもできる逆転劇は、つまらない。
「誰もが無理だと思えたこの状況を、
驚くべき、しかしそれを知ってしまえば簡単な、
こんなことを思いついて、
一発で状況をひっくり返したやつがいる」
ものが面白い。
そこまで無理だとしても、
どんな逆転劇があるのかが、
物語の本質だということだ。
名作を分析しよう。
半ばまでかかって、
あるいは第二ターニングポイント近くまでかかって、
「一見逆転不可能なアンハッピーな状態」
まで持ち込まれているはずである。
それを、
これまでの伏線を生かしながら、
すべてのものが繋がりながら、
最終的には大逆転につなげていくことが、
後半メインで描かれる。
それを作り出すことが、
シナリオライターに求められていることである。
あるアンハッピーな状況をつくること。
それを時間をかけて逆転する逆転劇を考えること。
あなたは脚本家ではなく、逆転家である。
2021年07月04日
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