2021年07月04日

逆転劇違い

物語とは煎じ詰めれば逆転劇である。
物語の違いは、逆転劇違いだと言える。


ハッピーエンドを考える。

アンハッピーな状態スタートで、
ハッピーに終わる変化がハッピーエンドの構造だ。

一度ハッピーな状態からアンハッピーに転落して、
そこからハッピーになるのも、
次点の構造だろう。
ただし初期状態以下のハッピーで終わると、
微妙なエンドになるため、
爽快な真のハッピーエンドになるには、
初期状態以上のハッピーになる必要がある。
ということは、最初のブロックをまとめてアンハッピーとして、
アンハッピーからハッピーになる構造の、
変形ととらえることができる。

バッドエンドはどうだろう。
ハッピーからアンハッピーに転落して終わればいいわけだ。
ただ、バッドエンドが娯楽になるか、
という話がある。
人の不幸を見て楽しむのは暗い欲望だから、
一般性を持てない。
せいぜい、大人の一部の娯楽にとどまる。
より広く、強いものになれない。
教訓として、「こんな失敗をしてはいけない、こうするべきなのだ」
となるバッドエンドは見る価値がある。
「笑ゥせえるすまん」などはそうしたものだ。

ただし、苦いコーヒーは大人の味でしかなく、
皆甘いものを求めていることはたしかだ。
ということは一般性があり、
広く伝わり、強いものは、
ハッピーエンドということになる。

で、
アンハッピーからハッピーになる、
ハッピーエンドの構造は、
逆転劇そのものである。

つまり、物語というのは、
たいてい逆転劇の構造を持っているわけだ。

現実に逆転劇はそれほど起こらない。
スポーツの世界ではたまにあるが、
現実の人生ではさらに発生確率がさがる。
だから、逆転劇は面白く見えるのだろう。
「普通ならば失敗していたものが、
こういうことによって、
大逆転劇になったのだ」
となるから、
貴重で、見るべきものになるわけだ。

あなたは、
それを提供しなければならない。

どういうアンハッピーがあるのか?
それがどういうハッピーに終わるのか?
なぜそうなるのか?
つまり、無理や無茶や矛盾がなく、
その逆転劇が成功する理由とは何か?

それを上手に設定して、
しかも嘘のバレバレではなく、
ほんとうにあり得そう、
というレベルに仕上げないと、
「面白い、迫真の逆転劇」にならないだろう。

どんなストーリーでも、逆転劇である。
簡単な逆境をひっくり返すのは、
簡単な逆転劇だ。
無理なものをひっくり返すほど、
劇的になる。
じっくり段階を踏んでじわじわひっくり返すよりも、
一気に一手でひっくり返すほうが、
ドラマチックになる。
そして、そんな難しいものを、
ご都合主義にせず、リアリティあふれるものにしなければならない。

つまり、
あなたの書ける範囲でのリアリティで、
逆転劇のレベルは決まる。
それ以上の無理は、嘘逆転やご都合主義の構造だからね。

誰にでもできる逆転劇は、つまらない。
「誰もが無理だと思えたこの状況を、
驚くべき、しかしそれを知ってしまえば簡単な、
こんなことを思いついて、
一発で状況をひっくり返したやつがいる」
ものが面白い。

そこまで無理だとしても、
どんな逆転劇があるのかが、
物語の本質だということだ。

名作を分析しよう。
半ばまでかかって、
あるいは第二ターニングポイント近くまでかかって、
「一見逆転不可能なアンハッピーな状態」
まで持ち込まれているはずである。
それを、
これまでの伏線を生かしながら、
すべてのものが繋がりながら、
最終的には大逆転につなげていくことが、
後半メインで描かれる。

それを作り出すことが、
シナリオライターに求められていることである。

あるアンハッピーな状況をつくること。
それを時間をかけて逆転する逆転劇を考えること。

あなたは脚本家ではなく、逆転家である。
posted by おおおかとしひこ at 00:11| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。