2021年06月26日

80分という尺

先日80分の芝居を見た。
普段見慣れている映画の100分前後と比べてみると、
「食い足りない」という気分がある。


事件の規模が小さい。
事件を取り巻く人間たちの、関係性の輪が小さい。
展開に必要な、
実はこのような過去があったのだ、の世界が小さい。

ちょっとしたどんでん返し的なものがあったが、
それが小さな規模に感じる。

小ささだけではなく、
深みについてもだ。

人間観察の深みが足りない。
深淵に行くならばもう少し深淵に行きたい。
人間の業とか、世界はこうして進むのだ、
みたいな深みが物足りない。
人間は一人までしか深く描けないようだ。
もう何人か深みに行きたい。


キレがあるのにコクがある、
が短編や小編の理想だとすると、
キレが足りずコクがいつもより薄い。
全体にそんな印象。

80分だから、短編特有のスピード感を活かせない。
無茶や無理や不条理展開で、
振り切る手も使えない。

帯に短し襷に長し、
みたいな印象を受ける。

もっとも、作家によってはそれを上手く使えるのかも知れない。


80分の映画シナリオならどうかと想像する。

もう少し広く大きくするか、
もう少し深く狭くするかしたくなると思う。
キレやコクを、足していくことになると思う。

60分には60分の、
90分には90分の、
120分には120分の世界がある。

長くそういうのを見てきたからかも知れないが、
80分の世界は、少し足りなく見えた。

その少し足りない部分を、
見た人の想像に任せるようにしないと、
機能しない尺なんだなあ、
などと思いながら帰路につく。


中途半端な尺は、
中途半端な内容なのだろうか。

それは必ずしも真ではないと思う。

だけど中途半端な内容は、
中途半端な尺になりがちかも。

もし書いてみて、あまり聞いたことのない尺になるなら、
内容の中途半端さを疑ってみることをすすめる。

長いなら何かしらが無駄かも知れない。
短いなら何かしら足りてないかも知れない。
普段見る定尺に比べて、
有利でなく不利になっているならば、
見直す必要があるぞ。

あなたが「これしか書けない」は関係がない。
客は、とことん深みをみたいのだ。
posted by おおおかとしひこ at 15:57| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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