先日80分の芝居を見た。
普段見慣れている映画の100分前後と比べてみると、
「食い足りない」という気分がある。
事件の規模が小さい。
事件を取り巻く人間たちの、関係性の輪が小さい。
展開に必要な、
実はこのような過去があったのだ、の世界が小さい。
ちょっとしたどんでん返し的なものがあったが、
それが小さな規模に感じる。
小ささだけではなく、
深みについてもだ。
人間観察の深みが足りない。
深淵に行くならばもう少し深淵に行きたい。
人間の業とか、世界はこうして進むのだ、
みたいな深みが物足りない。
人間は一人までしか深く描けないようだ。
もう何人か深みに行きたい。
キレがあるのにコクがある、
が短編や小編の理想だとすると、
キレが足りずコクがいつもより薄い。
全体にそんな印象。
80分だから、短編特有のスピード感を活かせない。
無茶や無理や不条理展開で、
振り切る手も使えない。
帯に短し襷に長し、
みたいな印象を受ける。
もっとも、作家によってはそれを上手く使えるのかも知れない。
80分の映画シナリオならどうかと想像する。
もう少し広く大きくするか、
もう少し深く狭くするかしたくなると思う。
キレやコクを、足していくことになると思う。
60分には60分の、
90分には90分の、
120分には120分の世界がある。
長くそういうのを見てきたからかも知れないが、
80分の世界は、少し足りなく見えた。
その少し足りない部分を、
見た人の想像に任せるようにしないと、
機能しない尺なんだなあ、
などと思いながら帰路につく。
中途半端な尺は、
中途半端な内容なのだろうか。
それは必ずしも真ではないと思う。
だけど中途半端な内容は、
中途半端な尺になりがちかも。
もし書いてみて、あまり聞いたことのない尺になるなら、
内容の中途半端さを疑ってみることをすすめる。
長いなら何かしらが無駄かも知れない。
短いなら何かしら足りてないかも知れない。
普段見る定尺に比べて、
有利でなく不利になっているならば、
見直す必要があるぞ。
あなたが「これしか書けない」は関係がない。
客は、とことん深みをみたいのだ。
2021年06月26日
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