2021年06月28日

【薙刀式】機械は幾何学だが、人体は幾何学ではない

すべてのキーボードの問題は、ここに起因するのではないか。


実際に自分で工作してみればわかるが、
幾何学的なものを作るのは大変簡単だ。
(正確性をそこまで要求されなければ)

木工ならまっすぐ切って90度をつくり、
CADならそもそも幾何学的に正確な図形からスタートする。

量産することを考えれば、
幾何学的な形ほど楽だろう。
ワンオフの型抜きよりも、
応用のきく、従来の型の組み合わせの方がいいだろう。
対故障も考えると、ワンオフは欠けたり潰れたら終わりだし。

人間の脳は、
「複雑な現実が、幾何学的に整理されていると、
気持ち良くなる」
という性質があるように思う。

格子配列キーボード、Planckを初めて見た時の衝撃は、
「キーボードはこんなに整理されるんだ!きもちいい」
だったように思う。

イコンやピクトグラムは、
幾何学的なものほど優秀とされる。

現実をシンボル化することこそが、
ものごとの整理である、
ような直感が我々にはある。


これと、打鍵する指、思考する指が、
幾何学的でないことが、問題のねじれなのかもしれない。


指は幾何学的についていない。
指の長さは違う。関節の長さも違う。
掌は水平についていない。
掌を水平にすると、指の正面は内側斜めを向く。
それぞれの指の中心から法線を出すと、
球を掴む形でまじわる。
指関節は、第三〜第一関節へ至るにつれ、徐々にねじれている。
垂直に指を落としたり、撫で打ちしたり、
運動曲線も一致しない。

肘や肩は幾何学的な動きをするように見えてそうではない。
内側の筋肉と外側の筋肉は対称ではない。
そもそも内側/外側みたいに対称にはついていない。
(格闘技の関節技はそれを利用する)

これらに合うキーボードが、
幾何学的な形をしているはずがない。

幾何学的な整理をされていないものをグロテスクと呼ぶならば、
キーボードはグロテスクであるべきだ。
キーボードはつまり、幾何学より格闘技に近いべきだ。


ピアノは大量生産の幾何学と、
「音を幾何学的に整理する」というピタゴラス以来の生理的な欲求で、
幾何学にできている。

周波数の倍でオクターブになるし、
倍音を生むように黒鍵などで和音を作るようになっている。

そのハンマー機構を継いだタイプライターは、
中身こそ複雑でグロテスクだが、
ユーザーインターフェースをピアノのように整理した。
物理的には30×4段などのように。

だがqwerty配列は、
幾何学的な整理から逃れ、
グロテスクな論理配列となった。

我々の言語そのもの、思考そのものが幾何学的ではないからだ。


ピアノは、幾何学的な道具で幾何学的な音楽を奏でる道具だ。
だから美しい。

タイプライター、それ由来のキーボードは、
幾何学的な道具で、
幾何学的でないグロテスクな言語を奏でる道具である。

これがピアノとキーボードの違いであると考える。


ピアノの設計思想は、
「世界は幾何学的であるべき」と考える。

キーボードはそのようになっていないくせに、
幾何学的な見た目をしてきた。
だからねじれている。


論理配列、たとえばJIS配列はグロテスクの極みである。
変換キーや無変換キーの場当たり。
そもそもCtrlやAltやWinの場当たり的な場所。
エンターやBSや、小指伸ばしキーの整理されてなさ。
ファンクションキーで幾何学的でないものを収納しようとしたくせに、
引き出しから溢れたかのようなたくさんの機能キー。

この整理されてなさはなんだ。
見た目だけ幾何学的であろうとしたが失敗しました、
というのが現行のキーボードだと僕は思う。


論理配列沼、自作キーボード配列沼は、
この整理の失敗を、
新しい平衡状態に移そうという行為だと僕は総括的に思っている。

思考そのものはグロテスクだ。
それを整理することが「書く」という行為である。
書くことは、幾何学で世界を整理する音楽に近い。
しかしそれを表す言語は、
幾何学的ではない。
法則性はなく、
とくに日本語は膠着語で語順は一定せず、
活用をし、どんどんくっついて細胞分裂のように文は増えていく。

幾何学的でない言語で、
幾何学的でない道具で、
世界を整理する幾何学をしようというのが、
書くという行為であるかも知れない。


それでも、
論理配列には一定の法則があって幾何学的であるべきだろう。

よく使う音は真ん中にあり、マイナーは端だろう。
右手のほうが左手より使うだろう。
左右交互やアルペジオなど、よくある連接は打ちやすいべきだ。
濁音、半濁音、記号類など、
規則性のあるものは規則性があった方が整理できる。
(これまではないが、未然連用など、
活用型に応じた5段配列みたいなのがあってもいいかもだ)
1モーラが1アクションだと気持ちいい。

その「日本語をどう整理するか」の仕方が、
論理配列を特徴づけるのだと思う。



僕は薙刀式という論理配列で、
日本語入力を整理した。
さらに自作キーボードの3Dキーキャップで、
打鍵運動を整理しようとしている。

幾何学的でないグロテスクなものを放置していると、
やろうとすることに過大な負荷がかかるからだ。

どんな道でも、ショートカットする獣道ができる。

論理配列や自作キーボード沼は、
無限にサイクルを回しながら、
獣道をつくって、
グロテスクを整理しなおそうという行為だと思う。


人工言語が流行しないのは、
幾何学的だからじゃないかなあ、などと想像している。
(よく知らないので想像です)
どんなに幾何学的な道を作ったって、
獣道ができると思うんだよね。

その獣道の途中に、我々はいる。
posted by おおおかとしひこ at 18:28| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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