非常に興味深い雑談。
https://anchor.fm/goryugocom/episodes/664-e12uadk
僕は昔から小説が絵で見えるタイプ。
絵はうまいほうだった。ていうかそれで仕事をしている。
セリフは書くのがうまかったから、
漫画も書いてた。
文章も作文の時間に読み上げられるタイプ。
数学系に進んだ時、
わかったのは、
「映像を出したら負け」ということだった。
概念で処理しないと抽象思考というのは出来ないのだ、
とわかり、それをマスターした。
プログラミングはそれに近い。
でもそれを一生の仕事とするのはなあ、
と思って、映像の世界へ出戻った感覚。
ビジネス書とか解説とかは、
映像を出すんじゃなくて、
数学のように処理すればいいということがわかった。
つまり、僕は二刀流をマスターしたっぽい。
最近小説を自分でも書き始めて、
間違えていたことがわかった。
最初は、
「浮かんだ映像を、自分の言葉で記録する」
ことをやっていた。
それは独りよがりで、わかりにくい文章になる、
と気づく。
次にやったことは、
「概念で処理できるように書く」こと。
たしかに分かりやすいが、
「味がない」ことに気づく。
やってることは分かるし、なるほどとはなるが、
色気がない。
事務仕事の風俗嬢に相手されたように感じる。
そうではなくて、相手の感情を「誘導するような」
文章を書くべきだと思った。
正確にいうと、
「思わず映像が浮かんでしまうような文章」
が正解ではないかと考えている。
概念だけで処理する機械的なものでスピードを担保しつつ、
ときに感情が豊かになる極彩色の景色が思わず想像できるような、
そういう文章が理想なのでは、
といまは考えている。
このブログは、わりかし概念処理系の文章で書いてるんだけど、
途中とかオチとかに、
熱のこもった、理想の文章をまじえることが、
稀に良くある。
そのへんの塩梅が面白いかなあと思っている。
映像処理を伴うのは遅い。
概念処理の方が早い。
しかし、映像処理は、あじわうことを楽しみにできる。
どちらが優れているか、ではなくて、
ふたつあって、どちらもできて、
適宜切り替えられると面白いよ、という結論。
(ふたつ以上あるかもだ)
数学が脱落する人は、概念処理ができなかった人。
映像系で脱落する人は、映像の脳内処理ができなかった人。
まず脳の体験からちがうのだ。
教える側は、それをわかってると、
教えやすくなるんじゃないかなあって思っている。
2021年06月28日
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