説明の下手な人は、全部説明しようとする。
それじゃあ何分あっても足りない。
説明の下手な人は、不安なのだ。
説明のコツは、
思い出せるところは省略することである。
ある説明をしているときに、
「これは説明したから」と省略することは省略として二流だ。
そうではなくて、
「これは思い出せるから、説明する必要はない」
と判断できるか、ということなのだ。
つまり、説明する側の事情ではなく、
説明される側の事情を想像できているか、
ということだ。
あなたは説明をしようとしているのではない。
あなたは理解をしようとしている側に、
立つ必要がある。
理解をしようとしている動機、
理解をしようとしている前提知識、
理解をしようとしている人たちがこれまであったこと、
などから自分の説明を見れているか、
ということだ。
つまりあなたはパフォーマーでありながら、
観客席から見ているわけだ。
すごいことやったぞ、ドヤ、ではなく、
観客がのめりこめるすごいことをしなければならない。
自分の主張をしたぞ、ドヤではなく、
その主張が面白く受け入れられるかを観客側から見ていなければならない。
説明責任を果たしましたが何か、ではなく、
観客が理解しているように、自分の説明を初見でみているようにしなければならない。
説明の下手な人は、
相手が何を覚えていて、何を忘れているか、
などはまったくわかっていないということだ。
これは覚えているだろう、
これは微妙だからもう一度別角度から触っておこう、
これは強調したほうがいいから、
あえてもう一度入れ込んでおこう、
などの判断をするには、
説明する側ではなく、
「これまでずっと説明を聞いてきた人」
の理解から見ないといけないわけだ。
適宜全体の中でここだという俯瞰をするとか、
前回までのものを上手に圧縮するとか、
付加的なことをする必要があるかどうかの判断も、
「説明を聞いてる人が、
どのような時間軸にいるのか」
を把握していれば可能なことである。
つまり、説明がうまい人は、
口が達者なだけではない。
相手を想像する力が達者なのである。
自分はパフォーマーでありながら、
なおかつ観客であり、
なおかつ批評家でなければ、
うまく説明できるはずがないのだ。
ただしくものを見る力、
こうだったらいいのに、と批評する力、
そして表現力は、
すべて連関し、ぐるぐる回っている。
その中でも、説明は、
実力が出る部分である。
どんなにうまいコピペをしてきても、
いま、この文脈で、適切かは分らない。
これまであったことから類推できることは省略したほうが、
説明はうまくいく。
つまりは説明は、
「相手の中の脳内映像」が見えていないとできない。
脳内に構築するのにエネルギーを伴うものは理解が難しく、
構築するのが簡単なものは、理解が速い。
それをうまくコントロールしていくのが、
上手な説明だ。
これは既に言ったから説明を繰り返す必要はないとか、
これは大事だから繰り返すとか、
説明をする側の事情は関係ない。
そうではなく、理解する側の事情を考えるのが、
上手な説明のやり方だ。
(相手が理解する受け皿を持っていないと判断するならば、
適時説明する内容を変えたっていい)
相手の記憶や脳内モデルが想像できれば、
「それに何かを足していく説明」が可能だろう。
そうやって、省略をうまく使って、
説明はどんどん進む。
で、「最初にこれだけはまず理解してください」
というものは、わりと人は受け入れる。
最初に提示されればね。
それを、序盤というのだ。
2021年07月07日
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