2021年07月13日

お話とは、妄想に決着をつけること

どういうものが面白いストーリーなのか?
妄想の面白いものが引きがあってよい。
しかしそれではストーリーはまだ半完成品だ。


妄想をヒントにしたストーリーは数多い。

ある日空から美女が降ってきたら?
ナチスが第二次大戦に勝った世界線なら?
このくだらない世界に穴が開いて、もうひとつの世界に行くことができたら?
クビになった会社で、俺がいないから困ってやがるとしたら?
実は病院で赤ちゃんが取り違えていたら?
イケメンばかりの職場に行くことになったら?
最強の能力者だったら?
電車の中の差別主義者を、うまく論破できたら?
この人が実は犯罪者だったら?

色んな妄想を人はする。
物語を書こうという人は、
まず妄想が好きな人だ。
そこから色んな事を膨らませて、
「つづき」をつくっていく。
そうして物語は生まれる。

「つづき」のない妄想は、ただの一点妄想だ。
それにしても需要はある。
「セックスしないと出れない部屋に閉じ込められてしまったら?」
なんてのはシチュエーション妄想であり、
そのシチュエーションをクリアしたらおしまいだ。
よくある「最強能力者だとしたら?」は、
最強能力を披露したらおしまいの、点の妄想である。

点は物語にならない。
「つづき」がなく、それで終わってしまうからだ。
いわばワンシーンであるということだ。

物語は、何シーンも何シーンもつづく。
あるシーンがあり、
それゆえ次のシーンになり、
だから次のシーンになる……
というループで先へ先へ進む。
これを因果関係の鎖とか、展開といったりする。


で。
妄想から出発すると、
大概一発ネタになりがち、
ということだ。

妄想出発のシチュエーションは、
点で終わりがちで、
次の展開へつながらないことがとても多い。

「〇〇になったら?」の妄想は、
「△△でした」で終わってしまうからだ。
そうではなく、
△△でした、次に……、
と続かないと物語にはならない。

新しい妄想を投入してもいいし、
△△ゆえに、
それだけではすまなかったのだ、
などと展開させていってもよい。
その妄想が許される世界ならば、
こういうことが起こってもいいよね、
ということが起こるかもしれない。

とにかく、
最初の妄想から風呂敷を広げないといけないわけだ。

で、広がった風呂敷は、
たたまないと意味がない。
ただの妄想の垂れ流しになってしまうからだ。
完結してはじめて物語には意味がある。
完結しない物語など、ただの妄想日記だ。
(人は完結するとわかってるから妄想を楽しめるのだ)

妄想からはじまった何かは、
完結させる責任がある。
それはつまり、
はじめの妄想に決着をつけるということだ。

その妄想は子供じみたものだったのか。
たとえそうだとしても、
そこから広がった何かは、
ケツを拭くとたいしたものになっていた、
そういう風にしなければならない。


たとえば、
映画「かいじゅうたちのいるところ」
はとても素晴らしい妄想だった。
「この世界とはまったく違う、
かいじゅうたちのいる島があり、
そこへ行って、これまでのしがらみを全部忘れられたら?」
という造形が素晴らしかった。

しかし、
「ゆきて帰りし物語」にはならなかった。
行ってきたことが、現実に対して効力を発揮しなかったからだ。

つまり、ただ行って、帰ってきただけで、
その妄想に意味がなかった。

妄想は、決着をつけなければならない。

逆にいうと、
決着をつけられた妄想は、
物語になる。


あなたは今日も妄想をするだろう。
それ自体はすばらしいことだ。
妄想しない人よりも、
ストーリーテラーの才能がある。

だが、決着をつけられない妄想など、
ただの妄言に過ぎない。
物語にはなっていない。

映画「かいじゅうたちのいるところ」は、
ほんとうにひどかった。
造形が素晴らしく、音楽もとても良い。
冒頭30分の導入は完璧だ。
だが二幕以降、爆発するはずの妄想が、
どんどん退屈になっていくのを目の前で見なくてはならない、
修行のような映画だった。


「100日後に死ぬ運命のワニが、
そうとは知らず、普通の日常を生きている。
そんなごくふつうの日常こそが、
実はとても輝くものなんだ」
というコンセプト的な妄想はよい。
だけど、その妄想にケリはまったくついてない。

「ただ生きた、そして死んだ。で?」
でしかなかった。
「これまでの文脈は、ほんとうに価値あるもの?
ただの掃いて捨てる駄人生では?」
に対する有効な反論ができない出来だ。

最初の妄想は良かった。
しかし、
決着のつかない妄想は、
物語にならない。


あなたは、自分の妄想にどう決着をつけるのか。

ある日美女が降って来たっていいんだ。
それが納得がいって、
人生よかったな、ってなるといいのだ。
その決着のつけかたが、
テーマだ。

妄想は、テーマの前振りだということを、
ストーリーテラーはわかっておくべきだ。
そうすると、
「この妄想は、どういうテーマにつながる前振りになるだろう?」
という見方で、
普段の妄想を分類できる可能性がある。

アイデアノートは、
そうやって整理するのである。
posted by おおおかとしひこ at 13:20| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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