2021年07月14日

十年の修行の意味

十年砂かぶりで見れるなんて、めちゃくちゃいい環境じゃん。

日本さん「天ぷら職人はまず師匠の技を見て盗め。言葉では教えん」海外「wwww」
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/5810863.html

ただ揚げるだけなら三ヶ月もありゃ出来るだろ。
そこから十年、何を見るかなんだよね。


たとえばトラブルへの対処法。
現場はどんなトラブルが起こるか分からない。

油がひっくり返るとか、
材料がイマイチの時とか、
厨房のトラブルへの対処。

お客さん同士が喧嘩した時、店長としてどう諌めるかとか。
何かでサービスで出す時とか。
厄介な客をどうトラブルなしにおさめるかとか。

あるいは、
常連さんの紹介、顔見せもあるよね。
いつか新しく店出したら、常連になってくれるかもしれない。
人は知らない人の店には行きづらいが、
知ってる人ならまあいいかとのれんを潜ることがある。

あるいは、
逆が無茶振りすることもあるだろう。
その時の対処法とか。

あるいは、
仕事とは逆算だ。
揚げるのは最後で、それまでの仕込みが8割だろう。
仕込みに何が必要なのかは、
最後の仕上げを分かってないとできない。


教科書で覚えることよりも、
その他のことがずっと多い。
それが現場だ。

教科書で教えられることは分かりやすい法則だ。
そこに収まらないことが沢山ある。
そしてそれは体系的にまとめられないから、
十年もありゃ一通り体験するだろ、
みたいなことだ。


シナリオでも同じだと思う。
三幕構成は教科書で学べるけど、
「このシーンがイマイチなんだけどどうしていいか分からない」
が教科書で学べるとは思えない。

もしシナリオの師匠がいて、
十年も最前線で仕事を真横で見て、
しかも給料もらえるなら、
俺が行きたいくらいだよ。
しかもその仕事の仕込みは全部自分がやるんだぜ。

足元から頭のてっぺんまで、
まるごと仕事を理解できるじゃんね。


バカにする人たちは、
朝来て夜までずっと見て家に帰って、
を十年やったら一人前になれると思ってるのだろう。
マニュアルで教えられる仕事しかしてないんだろうな。
アドリブに弱いわけだ。
posted by おおおかとしひこ at 00:12| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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