僕は短編を何本も何本も書け、
出来れば100本、1000本、
と口酸っぱく言っている。
なぜか。
素人レベルから、玄人レベルに解像度を上げるためだ。
絵描きを想像しよう。
素人の絵描きと玄人の絵描きの差はなんだろう。
色々な実力があると思うけど、
世界の解像度が全然違うことがよくある。
物の形をすごくよく知っている。
表面に現れた形だけじゃなくて、
その中の骨や筋肉、
メカならばその構造体やネジの位置まで知っている。
それらが相互作用して出来たのが、
今表面に現れた形だという風に、
ものを見ている。
光のことをよく知っている。
直射光だけでなく、反射光や間接光を知っている。
どこから光が来てどこに反射するかもだ。
たとえば机の上の静物を描く時、
机の反射が静物に当たることは、
それを知らないと想像すらできない。
補色や同系色を知っている。
どうしたら似て、どうしたら逆になるかを知っている。
あるものを見た時の、
理解の解像度が違う。
仮に玄人レベルの手業を持っていても、
目がぼんくらならば、
そのレベルの絵しか描けない。
仮に素人レベルの手業しかなくても、
目が玄人レベルで解像度が高ければ、
正確な世界がタッチは微妙だが描ける。
後者の方が絵になるだろう。
解像度は単なるピクセル数のことではなく、
世界の理解の仕方や、
「こういう表現はこういう時に使える」
なんてことの積み重ねだ。
シナリオも同じだ。
プロット、キャラクター、シチュエーション。
パーツに分解したり再組み立てする能力。
色々なパーツとテーマの関係。
リライトの力。
素人レベルの解像度ではじめたら、
ろくなシナリオにならないのは明らかだ。
じゃあ名作を沢山見れば解像度はあがる?
あがるよ。
でもパーツに分解してなければ、
解像度はあがらない。
自分で分解して再組み立てして、
はじめて「それがどうやってできてるか」を理解できるからね。
目が良くなっても、
手がヘボければヘタウマのシナリオにしかならない。
目だけでなく、手も一流にすることだ。
解像度の高い手があれば、
解像度の高い世界を書き分けられる。
そしてそれって、なかなか成長しない。
自分のやったことを振り返って、
「あのときはこの程度の解像度しかなかったなあ」
と、はじめて分かるレベルだ。
それは、自分の解像度があがって初めてわかることなのだ。
だから、短編を何度でも完結させる練習だ。
オチまでやらないと、
世界の解像度は上がらない。
「オチまで書けなかった作品」の解像度はあがるかもだけど。
完結して、世の中の他の作品と比較して、
はじめて解像度があがると僕は思う。
反省をするからだ。
反省もせずに解像度はあがらない。
悔しかったり、傷ついたり、落ち込んだりして、
「これじゃだめなんだ」と腹の底から理解しない限り、
「もっと世界を細かく考えよう」と思わないだろう。
「こんなんでOK」から、
「これでいいのか?」と考え方を変えない限り、
世界の解像度は粗いままだ。
何度も何度も完結させると、
ストーリーの全体像への解像度があがる。
全体と部分の関係の解像度があがる。
そうして、自分の一挙一動への解像度も上がる。
そのPDCAサイクルを回すのは、
二時間シナリオじゃなくて、
1分、3分、5分、10分、15分、30分の、
短編シナリオだと思うよ。
二時間1本しか書いたことないやつよりも、
15分を100本書いたやつのほうが、
遥かにシナリオの解像度が高くなっているよ。
2021年07月19日
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