2021年07月16日

メアリースー狩り

メアリースーは要するに甘えである。
それを発見したら、厳しくすればいいだけのこと。


メアリースーの原因は、
「自分だけ甘えていること」だと思う。

他人ならばそんなに甘えんなよ、
と思えることでも、
それが自分に起こることならばラッキーとか、
最初からそうして欲しかったとか、
いい気持ちになってしまうわけだ。

そのストーリーを、客は他人の話として見ているのだが、
作者が自分の話として見てしまっている、
主客の混濁が原因であると思う。


最初からそれを分離できれば問題ないが、
それは慣れが必要だ。
というか、
分離していなかったものを分離するのは少なからず苦痛を伴う。

母親から幼児が分離されて泣きわめくような、
そのような苦痛である。
それに耐える必要があることは覚悟しておくこと。

どのようなタイプの苦痛かというと、
恥ずかしさだ。
自分はこんなに甘えているのか、
という自覚の痛みを克服しなければ、
メアリースーを退治することはできない。

それを嫌がり、
メアリースーを温存することはまあいいだろう。
だがプロにはならないことだな。

つまりメアリースーを退治する痛みは、
ある種の大人になる通過儀礼だと思われる。


最初からそれを発見することは困難かもしれないが、
リライトで発見することは可能だ。

「自分の書いたもの」という感覚がなくなり、
「他人が書いたもの」という感覚で読めるようになると、
メアリースーは発見しやすくなる。
「ご都合だな」と思うところは、
たいていメアリースーに侵されている。



狩り方には何種類かある。
それらを列挙してみる。

・対価や代償を与える
・同情に値する事情をつくる
・取引にする


・対価や代償を与える

ご都合で思うのは、
「なぜ他キャラが、主人公に何かをタダでしてくれるのか?」ということだ。
好きだから、という要素を一回脇に置くとしよう。
なぜか好かれる、ということがメアリースーだからね。

タダで何かをしてくれるのが変だったら、
対価をつくればよい。
キャラクターAが主人公に何かをしてくれる代わりに、
主人公は金を払うと良い。
あるいは、何かと物々交換でも良い。
寿命と引き換えに、という世界もあるかもしれない。

あるいは、何かを先にAにしておいたお礼に、
Aがお返しとしてその行動をしてくれる、
という流れにしておくと自然だろう。

世の中はギブアンドテイクだ。
情とか好きとかと違う原理は、
対価や代償である。

代償のうち、何かひどいものの場合が次。


・同情に値する事情をつくる

家が洪水で流された人に、
多少なりとも協力してあげるのは人間というものだ。
道で迷っているおばあさんに、道を教えてあげるのもいいだろう。
そんな親切心、同情心をあおるエピソードを、
キャラクターAが知ったら、
それをするのもわかるわあ、
というのをつくればよい。

ただし、同情や親切で出来るレベルは、
そんなに大したことはない。
どんなにひどい目にあった人でも、
臓器移植を申し出るとか、
家族の命を提供するとかは、しないと思う。
ちょっと道案内してあげるとか、
余った物資を送ってあげるとか、
義援金を小遣いの範囲で送るとか、
まあその程度だろう。
何と引き換えになるか、
という「普通の感覚」が大事だ。

要するに、
メアリースーに取り憑かれる人は、
同情してほしいのだ。
「普段ろくな目にあっていない僕」に、
同情したり親切にしてほしいのである。
それが「甘え」ということだ。

自分では気づかないが、
自分より年下の後輩がそういう態度を取っていたらどうか。
鬱陶しいなこいつ、なに甘えとんねん、
となるはずである。
その後輩が甘えと何を引き換えにしているか、
ということを考えればいいわけだ。
自然とその後輩に何かをしてあげられる、
事情をつくればいいわけだ。


・取引にする

世の中はギブアンドテイクだから、
ふつうにAと主人公の取引にすればよい。
「make deal」のセリフは、わりとハリウッド映画で良く出るセリフのひとつだ。

対価の交換や、物々交換だけでは最初の例と同じだから、
主人公の目的Pに対して、
Aの目的Qがあり、
AがPに協力することが、Qに近づくことだ、
という状況を作ってしまえばよい。

PとQは全く異なるのだが、
取引によって同一な目的になるわけだ。

呉越同舟とか、まったく関係ない人たちが、
という時でも、
これをうまくつくればメアリースーの入る余地はないだろう。

主人公の目的が悪の敵を倒すことだが、
Aに協力してほしいとする。
Aは悪の敵を倒すことには興味がないが、
行方不明の妹が敵に捕らわれていることが分かったら、
Aは主人公に協力するだろう。
これでご都合主義ではなくなる。
(最初からそれを言ってなくて、協力する場面になって、
「実は行方不明の妹が……」と急に設定を追加すると、
ご都合に見えるが)

こんな事情もないまま、
いきなりAが「よし、君に協力しよう」と仲間になるのが、
メアリースーという主人公の甘えだというわけだ。



物語というのは、
面白いものほど命がけになる。
主人公が命をかけて自分の目的を遂行しようとしていたとしても、
まったくの他人Aが協力してくれるとは限らない。
Aも命を賭けないといけないからだ。
それに対する対価や理由がないと、
Aは何もせず、命の危険から遠ざかるものだ。


今までの議論は、「協力する」という文脈だったが、
「好きになる」というものでも同じだ。

まあ主人公が絶世のイケメンや美女、
という設定でもいいが、
いまどき見た目で惚れて協力する、
なんてことはリアリティがないよね。

見た目以外の何かで、
好きになったり、協力しようと思えたりする、
説得力のある何かがあれば、
メアリースーはいなくなるだろう。
メアリースーの原因は、
理由がないことだから。


リライトのときに、
メアリースーが見つかることはよくあることだ。
あ、甘えてんなこれ、と思うわけだ。
じゃあ、甘えてない状況を、
作り直せばいいだけのことである。

主人公=自分だと思ってしまっていると、
「こんな自分に惚れるはずがない」などと思ってしまい、
好きになるプロセスを描くことは難しくなってしまう。
主人公=他人に設定していれば、
もっと冷静に見れて、
色んな要素でつくっていけるはずだ。



あるいは、上にない場合も考えられる。
あなたがAだとして、
どういうときに他人に協力するかを考えればよい。
情だろうか。理屈だろうか。取引だろうか。
命をかけてまで彼ないし彼女に協力したり、
一肌脱ぐのはなぜだろう。
そこに新しいパターンを見出してみるとよいだろう。

所詮他人同士の出来事である。
自分だったらこうだろうな、誰かだったらこうだろうな、
と理屈が立てば、あとは誰にでもそれがわかるように、
それまでの文脈をつくっていくとよいだろう。
posted by おおおかとしひこ at 01:16| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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