親指シフトは、1カナ1拍で打つからリズムが良いという。
薙刀式は、意味の単位を1拍と数えて打っていく感じ。
文章の単位は何か?
という問いにどう答えるかだ。
僕はほんとうは文と答えたい。
つまり、一文を一拍で打ち、
次々と書いていきたい。
精々、句読点に区切られた単位を一拍としてもよい。
「ひといきの考え」は、
それだと思う。
ところがタイピングというのは、
それすら追いつかないものだ。
ちなみに、英語タイピングの単位はどこなんだろう。
そういえばネイティブで速い人の、
創作打鍵動画なんて見たことなかった。
見るのはいつもコピー打鍵。
句読点に区切られたブロックをひといきに打てるかな。
精々3〜4ワードくらいではないかと想像する。
薙刀式のひといきの打鍵単位は、
「話題の語+繋ぎの語」のような気がしている。
もちろんこれが簡単な言葉ならもっとつなぐ。
「俺をここから出せ」「そうだろうと思う」くらい簡単なワードなら、
ひといきで僕は打つ。
何が言いたいかというと、
「理想は思考の単位と打鍵の単位が一致したい」
のだが、
「現実的にはどのへんか」
だろうかね。
親指シフトは一文字一動作が特徴で、
それがゆえに指が喋る感覚という。
大体秒3〜4カナ、分速180〜240カナくらいからその感覚になるらしい。
それは、脳内発声がある時に感じるのではないか、
と僕は仮説を立てている。
喋るときは、なんとなく一文字一拍で喋る気がするからね。
でも「お・も・て・な・し」みたいに喋るわけじゃなくて、
「お・もてなし」くらいに等速では喋らないように思うんだよな。
僕の仮説なんだけど、
普段脳内発声があり、一文字一拍で打つのが快感であるときに、
いつの間にか脳内発声をすっ飛ばして、
先に指が一文字一拍で書き始めるのが、
「指が喋る」ような感覚ではないか、
と予想している。
それはヨシアキさんのコメントから類推した感覚だ。
僕は最初から脳内発声がないので、
最初から「指が考える」状態を維持している。
というか自分の手書きがそうだ。
「手を動かして考える」行為ができている。
頭で考えるのではなく、手で考える感覚だ。
脳内発声がある人の手書きは、
脳内発声で考えがあり、それを手で「うつす」感覚なのだろうか。
あるいは同時なのかな。
僕の手書きは手が思考で思考が手だ。
僕が手書きで書くときは、
薙刀式同様、意味の単位がひといきである。
というか、手書きのその感覚がPCでは出来なくてイライラして、
薙刀式で再現しようとしているわけだね。
そもそも僕は、原稿用紙に書くことが嫌いだ。
意味の単位で書く、続け字の筆文字が日本語の本質だと考えている。
つまり筆記体だ。
それをマス目のブロック体に変換する手間がほんとに嫌い。
思考はフリーハンドであるべきで、
改行や改ページに影響を受けるべきじゃない。
だからこのブログでは一行何文字と決めない、
フリーハンド的な改行をしている。
言う時だって、繋げながら、等速では言わない。
「お・もてなし」だろう。
そもそも、「東京五輪招致のキャッチフレーズは」「おもてなし」
「と、滝川クリステルが言った」みたいな三つの塊で言うだろう。
それぞれは等速ではなく、疎密があるように思う。
逆にアナウンサーは、
ブロック体で話すことで、
滑舌を良くする訓練を積んだ人のことだ。
そしてそれは生来ではなく、訓練が必要だろう。
僕らが外国語をブロック体で習うのは、
そうしないと困難だからで、
慣れてくれば筆記体的になるだろう。
だってその方がエネルギー効率がいいからだ。
手書き、薙刀式、フリックは、
ひといきで意味の単位を、筆記体のように書きたい。
そのときに手の感覚も発声の感覚もない。
ただ思考が文字になっていくのみだ。
指が喋るというのは、
だから、脳の発声の代わりに、指が発声する、
みたいな感覚ではないかと予想する。
ヨシアキさんの証言によれば、
それはそれほど頻度がなかったらしい。
そうか、勿体ない。
こうした思考と手と文字の一体感こそが、
「ものを書くこと」だと僕は考えていて、
それ以外は煩わしいだけだと思うんだよね。
多くの人が文章を書くのが嫌いなのは、
この一体感に常時なってないからだろう。
想像するだにめんどくさそうだ。
僕にとってのqwetyローマ字と同じ枷の感覚だろう。
qwertyローマ字では、
僕はついぞ「ものを書く」感覚にはならなかった。
秒5打じゃ無理だよな。
秒9打くらい欲しいが、そんなに僕の指は動かない。
薙刀式は秒5打〜4打くらいでものを書く感覚にすぐなれる。
フリックも補完入力が使える時はその感覚に近くなるね。
親指シフトは一文字一拍だけど、
動画を見るとそうでもない瞬間も結構あるようだ。
繋がりの慣れている部分が、
指が速く繋いでいる感じを受ける。
そういう時はひといきで、筆記体で、
意味の単位まで打ててるのかしら。
ただその指使いが、
「よく出る単語で楽そう」ではなく、ランダムっぽい印象を受ける。
配字が洗練されていないと思うのはそこなんだよなあ。
同じ親指シフト方式で配字を練った、
小梅、蜂蜜小梅、TRONなんかはどうなんだろう。
動画がないのでこの仮説を観察できないが…
ちなみに文字領域同時打鍵の新下駄は、
ひといきで意味の単位を打てているように思えて、
よく使う言葉の連接にアルペジオなどいい連接があり、
一モーラ一拍のブロック体以上の、
速度を出せていると思う。
(でも意外な言葉でリズムがつまづいたりして、
完璧な配列ではないことが動画でわかってきた)
飛鳥の連続シフトは、薙刀式とリズムが近い印象。
ブロック体ではない筆記体で、
なんとなくぬるぬる繋がる感じは、
打鍵の拍ではなく、
意味の単位で指を動かしている印象がある。
(かえであすかの動画を見る限りだけど)
これまで見聞した、ものを書く感覚について。
薙刀式: 手が思考する感じ、文字と脳が繋がってる感じ(大岡)
親指シフト: 指が喋る感覚(多数の人)
指が脳内発声に先行するゾーン状態(ヨシアキさん)
qwerty: キーボードが直接喋る感じ(パソ活さん)
キーボードが順に光り、それを指で順に取る感じ(めんめんつさん)
飛鳥: 語尾などで倍速打鍵になる(Rayさん)
このうち僕だけが、
脳内発声がないことがわかっていて、
個人名の出ている人は脳内発声があるらしい。
配列って、
配字やシフト方式もあるんだけど、
こうした思考と手のリズムのことも、
人に合う合わないがあるような気がする。
脳内がブロック体に近いのか、筆記体に近いのかでも、
変わるかも知れない。
たとえばビジネス敬語とか苦手だから、僕はそこだけブロック体だな。
いろは坂はqwertyの速いリズム、
みたいな感覚を感じることがある。
タイパーの感覚ベースだからでは、と思う。
こうしたことを知るためには、やっぱ動画だいじだなあ。
コピー打鍵じゃ意味がない。
自分の思いを書く「ものかき」について見たい。
大した文章じゃなくても大した速度でなくても、
最高でなくてもいい。
人の日常ってそんなもんで、その日常を支えるのが道具だ。
僕は通勤の自転車を見たいのであり、
ツールドフランスを見たいわけではないのだ。
僕は、知らないことを知りたい。
2021年07月19日
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