壁の中の世界の第一部。
壁の外の世界の第二部。
意欲的な構成はその意気や良しであったが、
「その意味あったか…?」に終わってしまった。
終わりのまとめ方は完璧に近く、そこで救われた。
だけど二部の構成のまずさは、
一部の勢いを台無しにするに十分であった。
惜しい。
以下ネタバレで。
二部、つまりマーレ編以降の詰まらなさの原因は、
一部の面白さをまるっと無視して、
劣化コピーから始めたことにあったと思う。
展開自体も褒められたものではないと思う。
権謀術数渦巻き、
誰が味方なのか分からない
→真意を知ってようやく氷解、
の多重構造パズルをつくった意欲はいいにしても、
「それで何を楽しめばいいんだ?」
が抜けていたのが実に残念だ。
結局、サシャの死からはじまり、
「感情移入した同期たちが死んでいく」
ということで縦軸を持たせていたようなものだ。
ジークとエレンが組むように見せておいて、
最終的にはエレンの「秘められた動機」を暴き出す、
というのが大枠の展開だったけど、
そこまでそれが面白かったわけではない。
なんでだろうと考えると、
貴種流離譚でしかなかったからかもね。
世界の人間関係が結局104期の中に全部ある狭さよ。
凡人のアルミンと、貴種流離譚のエレンの、
二つの視点もの、と言えなくもない。
結局最強になってしまったエレンがラスボス、
みたいな展開も、
「広げたわりに風呂敷が狭い」
と思えてしまった。
壁の外の世界は広い。
それをどういう風にまとめるのか、
と思わせておいて、
結局一部までの要素を全消化するだけ、
で終わってしまったのが残念だ。
マーレ編で出てきた新登場人物たちは、
結局メインに昇格せず、
サブの浮きゴマにしか使われなくて、
御都合主義またはかき回し要員だったに過ぎない。
だったら最初から登場させず、
すなおに鎧と獣の追撃戦で良かったのではないか?
アイデアを考える時間がかかりすぎて、
その勢いを失ってしまい、
結局「外」ではなく「内」に向いてしまったかんじだ。
「進撃の巨人」は、
壁の中の世界の箱庭が面白かった、
しかしその箱庭が畳まれ、
その外を描かざるを得なくなってしまったことが、
構造的失敗だと考える。
結局は「地ならし」をクライマックスに持っていくならば、
マーレ編ほとんどいらなかったのでは?って思ってしまう。
「地ならし」自体は、
壁の中の世界の要素だからね。
箱庭は箱庭で完結すべきだと思う。
限定空間ものは、それだけで魅力があるからね。
箱庭の外に出た時、
箱庭以上に魅力がなければ、
箱庭のほうが良かったよ、と言われてしまう。
進撃は、その接木に失敗した作品だ。
ラストのミカサの選択とかかなり良かっただけに、
これらを現実の文脈でなく、
RPG的な世界観だけで終わらせる手はなかったのか、
少し考えてしまう。
オーラバトラーが第二次大戦にワープした失敗、
みたいな感じ。
物語の吸引力は、焦点である。
進撃の前半戦は、
「圧倒的な巨人を退治できるのか」
「この世界はなんなのか」
「巨人とは何か」
「生き残れるのか」
など、強烈な焦点がいくつかあった。
しかし後半戦は、
「誰を信じるべきか」
「本当は○○は何を考えているのか」
しか焦点がなく、
前半戦の焦点の面白さに大きく劣ってしまったのが残念。
後半の後半、許しがたい敵味方が、
ラストバトルのために団結するというのはとても良かっただけに、
そこに至るルートが詰まらなかったのが世紀の失敗に思える。
結局、
「エレンの真意」が最後のミステリーになってしまったので、
感情移入の対象を見失ってしまったのが、
大きいかな。
で。
大きく俯瞰して見た時に、
「これ、結局なんやったん?」
てのがわからないのが、
心の落とし所がわからない感じ。
「籠の中の鳥は、自由になった」
というオチだとしても、
これまでの流れを全まとめしたわけでもないし。
つまりはテーマだ。
「このクソみたいな世界を生き延びる」
だけで前半は突っ走っていたが、
そこから方向性を見失ったのが、
実に残念。
そもそも「進撃の巨人」は、
世界観から発想したという。
あまりにも魅力的な、
この世界観を超えるほどのテーマ性を、
思いつけなかったことが大きな敗因だろう。
で、なんやったん?
マフラーで落ちたような気にはなるものの、
だからなんなん?が腑に落ちない。
それでも世界はつづく、
と凡庸なテーマでしかないのが、
勿体ないと思った。
2021年07月19日
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