相変わらずたまにqwertyを使ってみているが、
僕のqwertyは慣れていないし遅い。
単語単位で思考が途切れてしまう。
打鍵速度は、思考の射程距離と関係すると思う。
お年寄りにしゃべるときや、
子供にしゃべるときは、
なるべくゆっくりしゃべるものだ。
子供に対してなら、もっと簡単な言葉に変換しながらしゃべるだろう。
それで、多くのことは言えるだろうか?
量はいいとしても、情報の粒度が細かく言えるだろうか?
たぶん無理だよね。
しゃべる速度が遅いときは、
速いときに比べて、
総合的に情報量が少なくなる。
沢山のことをいえなくなるだけではない。
我々は、しゃべる速度で考えている、ともいえると思う。
ゆっくりしゃべるときは、
粒度を落としながら、思考を浅くして考えることになると思う。
ヲタクが早口でしゃべるのは、
高速で頭が回転しているからだ。
(そしてたいていの頭がいい人はしゃべるのが速い。
多くのことを処理しているからだろう)
しゃべるときばかりでなく、書いているときも同様、
と僕は思う。
qwertyと薙刀式で、僕は思考の深さが全然違うと思っている。
qwertyだと薙刀式の半分ないし1/3なので、
それくらいしか考えられていない感じがある。
ていうか、
考えはするのだが、
手が追い付かなくて、
途中でそこまで深く書くことはあきらめるか、
みたいに思ってしまう。
僕にとってqwertyはあきらめの道具だ。
薙刀式ならば、一番深いところまで潜れる。
アクアラングの性能の差みたいなこと?
qwertyだと、文節いっぱいで力尽きる。
薙刀式だと、句読点までがデフォルトで、頑張れば文単位で書ける。
文節いっぱいで力尽きているとき、
次のブロックや次の文まで、
思考は届かない。
文を書いているときは次の文やその先のことを考えているもので、
だからqwertyで書くと、
視野がすごく狭く感じる。
打鍵速度はつまり、視野と関係しているかもしれない。
その先を見ているか、足元しか見えていないかだ。
僕はその先を見たい。
足元を見ている場合ではない。
qwertyも薙刀式も同程度に練習したわけじゃないが、
qwertyのほうが使いこなす難易度が高いと思う。
薙刀式のほうが最終的な実戦の難易度が低いと思うよ。
とっつきやすさはqwertyだけど、
運用は薙刀式が圧倒的だろう。
もちろん他の新配列でもそうだと思う。
とっつきやすさで騙された人ばかりなのが、
日本のIT事情じゃないかなあ。
日本人は思考をしたいはずで、
qwertyに習熟したいわけじゃないと思う。
よほどの習熟をしないと思考の射程が狭くなる道具なんて、
道具としてはレベルが低いと思う。
2021年07月21日
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