qwertyローマ字にはさまざまな批判があるが、
手をゆがませる、という視点から批判してみたい。
ヒートマップで議論しよう。
これがタイプカウンターによる、
僕のここ50日分のヒートマップだ。
カウンターはqwerty換算なので、薙刀式を使っていようが、
僕がqwertyでこれを使ったとしたときの頻度が出ている。
内容は99%日本語。
この図を見て思うのは、
左ロウスタッガードに対して、
両腕を左に傾けたような、
ヒートマップになっているということだ。
基本の構えは、
GHを体の中心にして左右対称にFJに人差し指を置くべきだろう。
しかしこのヒートマップのように手を使うならば、
FJに人差し指を置いたまま体をずらし、
HJあたりに体の中心を置き、
左腕はやや左に傾け、
右腕もやや左に傾けたほうが、
合理的な指使いができるはずだ。
(キーボードを左にずらしてもいいけど)
左の手のひらは小指を中心に、
左にローリングした状態がデフォルトになるだろうし、
右の手のひらは被せるようにやや左にローリングするだろう。
また、左にヨー回転もすると思う。
左手は、Aを中心にすることになる。
添えるようにSに薬指をおき、
中指を伸ばした状態でEに置くことになるだろう。
すでにゆがんでいる。
この状態から人さし指をRTに構えると、
自然ではない指の形になるだろう。
右手はどうか。
KOIに中指薬指を置いておき、
人差し指をYUNのどこにもとばせるようにしておくだろう。
小指はエンターとBSに飛ぶ準備だ。
これがいびつでなくてなんだろうか。
qwertyに慣れれば慣れるほど、
このいびつな手と腕の形を強制されるということだ。
自然な手の使い方とはまったく違う、
特殊な構えである。
武術でも、習字でも、
自然な体の使い方がベストになるようにつくられている。
例外はなんだろう。舞踊だ。
バレエやいろいろなダンスは、
体を無理して違う形にすることで、
表現に昇華しているわけだ。
楽器はどうだろう。
自然な手の使い方にならないと、おそらくは体が死ぬ。
そうならないようになるべくは作られてきたが、
限界というものがあったに違いない。
弦の張り方などは、人体の構造とは関係ないからね。
だから、舞踊と楽器は特別だと思う。
人体の不自然なものを使い続ける、
という意味で。
文字を書くことに、それを強制するべきか?
僕はノーだと思う。
qwertyローマ字はもともとはqwertyタイプライターで、
そのもともとはピアノだ。
タイプライターは特別な人しか使えなくて、
専門家の育成が必要だった。
つまりどうあがいても、
この両腕を変な角度にして、
指の形を変な角度にするのは、
楽器の直系なのだ。
これは変だ。
qwertyが特別な人にしか使えないのは、
楽器が特別な人にしか使えないのと、
同じくらいの選民性があるということだ。
字は特別な能力だろうか?
僕は違うと思う。
自然な体の使い方で出来るように、
先祖代々日本語という手書きに集約されてきたものがすでにある。
それを選民したのが、qwertyローマ字だと言える。
(英語のqwertyの選民性は分からないので、
日本語に限っておく)
僕はつまり、
薙刀式と自作キーボードによって、
選民から日本語を奪還する活動をしているのかもしれない。
ことばはすべての人のものだ。
すべての人が文字を自然に書けるようにするべきだ。
タイパーとかいって自分たちだけに文字を独占して、
他の人に利益を供与しない独占者たちは、
さっさと薙刀式で駆逐しなければならない。
もちろんただ趣味でタイパーをやっている人がほとんどで、
悪意などないだろう。
しかし、
その特別な楽器が弾けない人が7割以上いることは、
忘れてはならない結果だ。
7割脱落するやり方をスタンダードにする意味はない。
日本語を書くのに、
qwertyローマ字がベストとは思えない。
体の使い方がゆがんでいる。
最近僕自身にまだゆがみが残っていることが発覚したくらい、
この無意識から脱出することは難しいのだ。
じゃあ、ベストは何か?
薙刀式がひとつの答えを出している。
それがベストかどうかは人によるだろう。
新下駄や飛鳥が合う人もいて、
そっちがベストという解釈もありえる。
新配列の脱落率は、今のところわかっていない。
もし7割脱落するならqwertyと変わらないかもだが、
仮にそうだとしても、
手の歪みは新配列で最小になることはたしかだ。
2021年07月23日
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