2021年07月31日

【脚本添削SP2021】9(終): 物語とは行動である

主人公さくらの行動にフォーカスして、
オリジナル「キル」と、
リライト「富士山の侍」を比較してみましょう。


比較できるように各原稿がこちら: キル.pdf 富士山の侍.pdf

行動は、まずは動詞を抜き出すことからです。
これがストーリーの骨格になるからです。
主人公さくらの動詞のみ抜き出します。


P 「キル」        「富士山の侍」

1 患者に謝る        ゴーグルをつける
               挨拶をする
2 OKボタンを押す     心の病と告げる
               −−−−−−−−−−
  ゴーグルを外す      オチを検索
3 ゴーグルを再びかける   原因を考える
  ドローンを叩き落す    子役に会う
  −−−−−−−−−−−
4 椅子をカゲロウに勧める  台本を読む
               対話を試みる
               妻について聞く
5 映画の内容を説明する   富士山に登る決意
  スマホで検索する     つらい過去を告白
               −−−−−−−−−−
  子役にカゲロウを会わせる 山頂まで登る
6 台本を読む        ゴーグルをかける
  結末をカゲロウに話す   真実をカゲロウに話す
7 気が済むまで付き合う   山賊の真似をする
  −−−−−−−−−−−
  富士山に登る       テイク2をやる
  山賊の役をする
8 テレカンを切る      コートを着る
  プリンター用紙を取る   友達に会いに行く
  絵を貼る

ページ数と行動のバランスを比較しやすくしてみました。
ーーーは三幕の切れ目です。

「キル」の動詞の多くは、
自分からの行動ではなく、
リアクションであることが多く、
しかも目的が曖昧なものが多いです。
だから、「状況に引っ張られて、ずるずると時間が進んでいく」
という印象になるのです。

「富士山の侍」のさくらは、
自分から動き、場を支配しています。
つまり、ゲームをつくっています。
「キル」のさくらは与えられた状況に対するゲームプレイヤーですが、
「富士山の侍」のさくらは、ゲームメイカーです。
ゲーム、すなわち「カゲロウの心の病の原因を特定し、治すこと」
を自ら切り開いています。
その差が、動詞のリストだけで読み解けます。

「キル」での4ページ(8分)まで、
さくらは受動的な、反応的な行動しかしていません。
第一ターニングポイント、
センタークエスチョンの確定は3ページラスト(6分)、
「最悪……」の部分ですが、
これは典型的な巻き込まれ型で、
自ら乗り出す話ではないです。
自分の意志になってくるのは、
5ページ目(9分)の「検索する」です。
15分の全体で、9分でようやく自分の意志になるのは、
遅すぎます。
あと6分しか冒険がない。


何故こうなってしまったのでしょう。

状況設定が複雑だからだと思います。


ARだけど侍キャラ、
お蔵入りした映画のキャラ、
しかし実は狂っていたキャラクター、
それを修復することがセンタークエスチョン、
という、複雑な状況だからです。

別に複雑な状況が悪いとは言いません。
それをさばけるのなら問題ないでしょう。
「キル」はさばけていなかった。

9分待たないとさくらは自分の意志で動きはじめない。
これは退屈というものです。
「やっと映画になってきたぞ」と思うまで、
半分以上かかっているものは、
面白い映画ではないです。

「富士山の侍」では、
巧みにセットアップして、2ページ目(3分)で、
センタークエスチョンを、
彼女の意志で設定しています。

自分の意志だから強力なターニングポイントになり、
その後の中盤は行動しかないわけです。


「キル」では自分の意志が明確になったあと、
何をしたでしょうか。

子役にカゲロウを会わせる
台本を読む
結末をカゲロウに話す
気が済むまで付き合う
富士山に登る

富士山に登るところからクライマックスとすると、
わずか4つしか行動していません。
しかも「絵になる行動」は、電車で「読む」行動のみ。
(作者も物足りないと無意識で思ったか、
夕日を足して印象的な絵にすることで、
盛った形跡があります)

一方「富士山の侍」では、

オチを検索
原因を考える
子役に会う
台本を読む
対話を試みる
妻について聞く
富士山に登る決意
つらい過去を告白
山頂まで登る

と、クライマックス前までに8つの行動をしています。

4対8で、中盤の印象の差になっています。
決意から結末まで一瞬で終わり、
ストーリーとしては物足りないものが、
こうして中盤を厚くすることで、
ストーリーの見ごたえ(この先どうするんだろう?)になっているわけです。

ていうか、中盤こそがストーリーの本編。

序盤の設定はストーリーの露払いにすぎません。
「キル」はそれに時間をかけすぎています。
いつまでたっても話がはじまらない感じは、
そうしたことと関係しています。


また、動詞は全て明確な目的語をもっていることに注意されたいです。

僕が気になったのは、
「キル」の、「気が済むまで付き合う」でした。

ノーアイデアかよ、って突っ込んでしまう。
それで何が起こるのか、
観客はまったく予測がつかず、
期待する内容がゼロです。
「分らないからこの先を知りたい」ではなく、
「分らないからどうでもいい」になっています。

一方「富士山の侍」の同じ場面では、
カゲロウがいったんブラックアウトして、
富士山頂なら目覚めるだろうことが期待されます。
それからどうなるかまでは予測できないけど、
「山頂で目覚めれば何かある」
ことが期待できるようになっています。

目的語が明確かどうかは、
つまり行動の明確さです。
観客はそれらを見ることで、
これからを予想するのです。

「富士山の侍」では、
「カゲロウは山頂で目覚め、
山賊も息子もいないことを知るだろう、
そして正気に戻るのだろう。
どうやるかは分らないが、そこは期待」
になりますが、
「キル」では、
「とことん付き合うって何するの?
だって何もないってわかったでしょ?」
と、そのあとに空白しかありません。
目的、行動が明確とは、そういうことです。

たとえば「子役にカゲロウを会わせる」
のはとても良いアイデアですが、
我々観客は、何を期待して二人が会い、
どういうスパークが起こるのか予想も期待もできないのです。

事前に
「リアル世界で子供が見つかった」
「?」
「子役が今も存命している」
などと前振れば、
「会ったら何かを思い出すのか、それとも」
などと期待の具体が存在します。

「どうなるんだろう」という曖昧なものではなく、
形を伴った期待です。

それがないから、
ずるずると進んでいるだけの印象になるのです。
頭の中で、お話の全体がどうなっているのか、
という想像をさせない脚本になっているわけです。

「富士山の侍」では、
次にどういうことに注目すればいいか、
きっとこういうことなのだろう、
と観客がともにストーリーを「解いて」いるような感覚になる違いです。



動機について論じておきます。

動詞の表に、
「なぜそれをするのか」の動機を書き込んでみましょう。
隠された本人の真意ではなく、
観客の知りうる情報としてです。
【】内に示します。

P 「キル」        「富士山の侍」

1 患者に謝る        ゴーグルをつける
  【何か間違えたから?】  【しょっぱなで不明】
               挨拶をする
               【請われて】
2 OKボタンを押す     心の病と告げる
  【請われて】       【責任感で】
               −−−−−−−−−−
  ゴーグルを外す      オチを検索
  【状況が呑み込めず】   【オチを知りたくて】
3 ゴーグルを再びかける   原因を考える
  【問題を見極めるために】 【分析するために】
  ドローンを叩き落す    子役に会う
  【本能的に】       【オチを知りたくて】
  −−−−−−−−−−−
4 椅子をカゲロウに勧める  台本を読む
  【社会的習慣】      【オチを知りたくて】
               対話を試みる
               【核心に迫るため】
               妻について聞く
               【本題に切りこむ】
5 映画の内容を説明する   富士山に登る決意
  【事情を共有する】    【目覚めさせよう】
  スマホで検索する     つらい過去を告白
  【手がかりを得る為】   【自分の動機をはっきりさせる為】
               −−−−−−−−−−
  子役にカゲロウを会わせる 山頂まで登る
  【映画と現実を知らせる為?】【目覚めさせる為】
6 台本を読む        ゴーグルをかける
  【オチを知るため】    【カゲロウに会うため】
  結末をカゲロウに話す   真実をカゲロウに話す
  【真実の共有】      【真実の共有】
7 気が済むまで付き合う   山賊の真似をする
  【カゲロウを助ける為】  【カゲロウを助ける為】
  −−−−−−−−−−−−
  富士山に登る       テイク2をやる
  【カゲロウを助ける為】  【間違いを、やり直す為】
  山賊の役をする
  【カゲロウを助ける為?】
8 テレカンを切る      コートを着る
  【話が終わったので】   【ここでは不明】
  プリンター用紙を取る   友達に会いに行く
  【用紙が切れたから】   【間違いを、やり直す為】
  絵を貼る
  【記念の為?】


ざっくりいうと、「キル」のさくらは、
状況に流されて反応している人、
「富士山の侍」のさくらは、
自分の頭で考えて行動して、状況を変えようとしている人、
という違いがあると思います。
それが動機から明らかになります。

状況に流されて反応している人は、
ご都合やメアリースーに取り憑かれるまで、すぐでしょうね。
甘い誘惑に乗りたくなるのは人の常。
メアリースーはそういうところにやってきます。

自分の頭で考えて行動している人は、
助け船には乗るものの、
うまい話には裏があると思うものです。
それは現実と同じでしょう。



こうしたことは俯瞰して気づくものでしょうか。

なんか変だ、しかしなぜか分らない、
かも知れません。

自分はこう書いたつもりだが、
それがちゃんとできているだろうか、
ということは他人の目をもってしないと分りませんが、
その他人が正しい目をもって、
正しいアドバイスが出来るかはわかりません。
ましてや、正しくリライトできるとも限りません。

ということは、他人に頼るべきではないです。
もちろん、信用できる他人の目があり、
うまく誘導できるセコンドがいれば別ですが、
現実世界ではそんなセコンドに会えることはないでしょう。
だから自分で分析する力を磨くしかないと、
僕は思っています。


その為の道具として、
動詞を抜き出した行動表や、動機について、
議論してみました。

三幕構成理論は、
三幕になってるかどうかをチェックする定規でしかありません。
なっていないことはわかっても、
どうしたらいいかまではわかりません。
何を削り、何を足すべきかは、三幕構成理論は規定していません。

ただの定規ではなく、
行動や動機について調べたり、
セルフで突っ込みを入れることは、
自分の脚本を見るうえで、
客観的な視座を入れることになると思います。


実のところ、最初にあらすじに還元するところで、
まず腕がいるのです。
ここで「正しいあらすじの抽出」ができないと、
問題を正しく把握することができません。



ほらさんは、
ハイアマチュアないしプロ予備軍レベルの実力だと考えます。
しかしまだブレイクするとか、
プロとして継続してやっていける力には足りないと思います。

それは客観力がなかったり、
あったとしてもじゃあどうすればいいか、
分らないことも多いからだと思います。

とくにリライトは、ライトの3倍くらい頭がいるでしょう。
そこまで頭をひねるのに、慣れていない感じがします。
それはまだストーリーの迷路で、迷子になりがちだと言えるかと。

設定は面白くてもストーリーにはなりません。
設定は相撲でいう土俵です。
取り組みがストーリーです。

取り組みは、動機と行動で記述できると思います。
何が足りないか、何がいらないか、
どこを詰めてどこを足すべきか、
ときに土俵を崩してでも取り組みを面白くするべきか、
その表で分るかもしれません。

(相撲を例に出したのは、決まり手の48手が、
すべて簡潔な動詞なことからです。
おくりだし、上手投げ、かいなひねりなど。
これはラジオ放送でも状況が分かりやすいという利点がありました。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/大相撲の決まり手一覧
で見ることができます)


我々ストーリーテラーは、
毎回すっごいいい土俵で取り組みが出来るとは限らないのです。
土俵に関係ない、
取り組みの面白さができるようになったほうが、
僕は得策だと思います。



ということで今回の添削スペシャルを終わります。
お疲れさまでした。

ていうか、今回はほぼプロレベルのリライトになってしまった……。
しんどかった。

もちろん、これは僕なりのリライトにすぎず、
もっといいリライトがあり得るかもしれないです。
しかし共通する原則について、
解説したつもりです。

みなさんならこの「キル」をどう分析するでしょうか?
そして自分ならどうリライトするでしょう?

そんなことを考えながら読み直してみるのも悪くありません。
リライトはライトの何倍もの実力が必要です。


では来年の多数の応募を期待しつつ、
今年はおひらき。
posted by おおおかとしひこ at 00:28| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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