よくある。
キャラが勝手に喋りだす現象。
とくにいろいろ考えたあと、ふっとなったときにそうなりやすい。
それで出来る、という場合もあるし、
出来ない、という場合もある。
その差はなんだろうか。
そもそも、
色んな人間が勝手に喋っていたら、
まとまるものもまとまらないものだ。
色んな人が言いたいことを言いたいときにいう、
親戚の集まりとかを想像すればいい。
まとまるわけがない。
そういう会議はそんなにないが、
紛糾している会議って大体そんな感じだよね。
親戚の会合でも、
会議でも、
まとまる話というのは、
議題があり、それに対してちゃんと向き合い、
そして全員の空気を読みながら、
ひとつの結論へ導くときであろう。
色んなキャラが勝手にしゃべる状態というのは、
喫茶店で女子高生がぐちゃぐちゃ話している状態だろうか。
書き手は気持ちいいだろう。
イタコになった気分だろう。
キャラが立っているのがしゃべると、オモシロイし。
まるでテレビのバラエティのように面白いと思う。
で、それがストーリーになるか、
というのが本題だ。
勝手にキャラクターがしゃべっている喫茶店は、
ドキュメンタリーである。
ドキュメントとストーリーはどう違うのか、
という話だ。
ドキュメントをやったことのある人は、
撮影したほとんどの会話が、使い物にならないことを知っている。
意味のある会話がほとんどなくて、
意味のある会話って、1/10くらいの頻度しかないからだ。
それくらい、人は無駄な話をしている。
まとまる話というのは、
要するに無駄なく、
結論へスムーズにいく会話のことである。
ドキュメントはそのようになるように、
9割の会話を編集で切り、
まとまるようにつなぎなおす。
キャラクターが勝手にしゃべるときは、
大体そういう傾向にある。
「おお、苦労して書いていた原稿が、
自動書記みたいにどんどんうまってゆく!」
という現象を経験すると、
俺って天才じゃない? これはこの勢いが大事だから、
このまま完成だろ、
なんて思ってしまうが、よくよく見ると、
無駄な会話だらけだということがとても多い。
だってそれはドキュメントだから。
編集されていない会話だから。
これを上手に編集して、
まとまりのある会話にすると、
おそろしく分量が減ることがわかると思う。
一度喫茶店で人の会話を録音してみるといい。
他人の盗み聞きでもいいし、
自分たちの会話でもいい。
ほんとうに意味のあるものは、ほとんど話していない。
その時思ったことをただ垂れ流していて、
「何かを進めよう」などと思っていないからだ。
逆に、人の会話とは、何かを進めるためには効率が悪いかもだ。
それを、
何かを進行させる会話にまで落とし込むのは、
そうとう難しいと僕は思う。
会議ですらそうだよね。
たまに好きなこと、思うことだけを言っているやつがいて、
建設的な方向へいかないことがよくある。
ストーリーの進行は、
エントロピーが減少する方向への会話だ。
カオスが増す方向、エントロピーが増える方向への会話ではない。
キャラクターが勝手にしゃべり始める状況というのは、
たいていカオスでしかない。
秩序へ進む会話にはほとんどならない。
キャラクターが勝手にしゃべりだして気持ちいいのは、
勝手にしゃべっているからだ。
何かをまとめようとしてしゃべっていないからだ、
とすらいえる。
暗闇を想像しよう。
あなたは舞台に立っている。
100人くらいのお客さんが入っている。
顔は全部見えるくらいの人数だ。
あなたはアドリブで、
複数の人物を演じなければならない。
その時に、勝手に喋りだしたとして、
オチまで持っていけるだろうか?
勝手にしゃべるとしても、
この先のことを考えて、
自由にはしゃべらずに、
ストーリーの進行に合うように、しゃべるはずだ。
そうせずに、
勝手にしゃべって、オチが見えてこない、
と困っている状態が、
「キャラクターが勝手にしゃべって楽しいーっうほーっ」
って言っている状態だと僕は思う。
じゃあ、
計画的なことしかしゃべってはいけないのか?
そうではない。
計画的にストーリーを進行させる会話のように計算しているのだが、
まるで勝手にしゃべっているように言うのが、
熟練した台詞というものなのだ。
その場で初めて思いつき、
その場の感情に流されるように、
その場の空気に飲まれるように、
勝手にしゃべるのだが、
実のところコントロールが効いていて、
ストーリーは進行している、
のように書くのが、正解なのである。
キャラクターが勝手にしゃべりだす、
なんてのは特別な状況なのではない。
それがふつうだ。
ストーリーテラーというのは、
その状態にまずもっていって、
それから進行の会話になるように、
制御しながらかつ勝手にしゃべる人間のことなのだ。
キャラクターが勝手にしゃべりだして追い付けない、
なんてのは最低限の状態にすぎない。
え? 勝手にしゃべらず、
無理やりしゃべらせている?
それは自然な会話ではなく、
段取りっぽい、わざとらしい会話なのだろう。
そんなの下手な脚本でしかない。
まず勝手にしゃべらせろ。
そしてそれを制御しながら、
ストーリー進行できるようになれ。
複数の勝手なやつを制御する、
司会者みたいなやつが必要になる。
人格の分裂でもよくそういう人格が必要になることが多いし、
親戚の集まりでも、
話の中心になる人は、
「〇〇ちゃんはどう?」の振りがうまい人だよね。
そういう風に、話を進めればよいのだ。
あなたは暗闇にいる。
100人の観客を意識せずに勝手にしゃべっていていいはずがない。
100人の観客を意識して、これを見ているのだ、
と思いながら、
勝手にしゃべったような会話で、話を進めていかなければならない。
むずかしいよ。でもそれがいい脚本だ。
2021年08月06日
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