2021年08月06日

キャラが勝手に喋るだけで、ストーリーになるだろうか?

よくある。
キャラが勝手に喋りだす現象。
とくにいろいろ考えたあと、ふっとなったときにそうなりやすい。
それで出来る、という場合もあるし、
出来ない、という場合もある。
その差はなんだろうか。


そもそも、
色んな人間が勝手に喋っていたら、
まとまるものもまとまらないものだ。

色んな人が言いたいことを言いたいときにいう、
親戚の集まりとかを想像すればいい。
まとまるわけがない。
そういう会議はそんなにないが、
紛糾している会議って大体そんな感じだよね。
親戚の会合でも、
会議でも、
まとまる話というのは、
議題があり、それに対してちゃんと向き合い、
そして全員の空気を読みながら、
ひとつの結論へ導くときであろう。

色んなキャラが勝手にしゃべる状態というのは、
喫茶店で女子高生がぐちゃぐちゃ話している状態だろうか。
書き手は気持ちいいだろう。
イタコになった気分だろう。
キャラが立っているのがしゃべると、オモシロイし。
まるでテレビのバラエティのように面白いと思う。

で、それがストーリーになるか、
というのが本題だ。

勝手にキャラクターがしゃべっている喫茶店は、
ドキュメンタリーである。

ドキュメントとストーリーはどう違うのか、
という話だ。
ドキュメントをやったことのある人は、
撮影したほとんどの会話が、使い物にならないことを知っている。
意味のある会話がほとんどなくて、
意味のある会話って、1/10くらいの頻度しかないからだ。
それくらい、人は無駄な話をしている。

まとまる話というのは、
要するに無駄なく、
結論へスムーズにいく会話のことである。
ドキュメントはそのようになるように、
9割の会話を編集で切り、
まとまるようにつなぎなおす。

キャラクターが勝手にしゃべるときは、
大体そういう傾向にある。
「おお、苦労して書いていた原稿が、
自動書記みたいにどんどんうまってゆく!」
という現象を経験すると、
俺って天才じゃない? これはこの勢いが大事だから、
このまま完成だろ、
なんて思ってしまうが、よくよく見ると、
無駄な会話だらけだということがとても多い。

だってそれはドキュメントだから。
編集されていない会話だから。

これを上手に編集して、
まとまりのある会話にすると、
おそろしく分量が減ることがわかると思う。

一度喫茶店で人の会話を録音してみるといい。
他人の盗み聞きでもいいし、
自分たちの会話でもいい。
ほんとうに意味のあるものは、ほとんど話していない。
その時思ったことをただ垂れ流していて、
「何かを進めよう」などと思っていないからだ。

逆に、人の会話とは、何かを進めるためには効率が悪いかもだ。

それを、
何かを進行させる会話にまで落とし込むのは、
そうとう難しいと僕は思う。
会議ですらそうだよね。
たまに好きなこと、思うことだけを言っているやつがいて、
建設的な方向へいかないことがよくある。

ストーリーの進行は、
エントロピーが減少する方向への会話だ。
カオスが増す方向、エントロピーが増える方向への会話ではない。

キャラクターが勝手にしゃべり始める状況というのは、
たいていカオスでしかない。
秩序へ進む会話にはほとんどならない。

キャラクターが勝手にしゃべりだして気持ちいいのは、
勝手にしゃべっているからだ。
何かをまとめようとしてしゃべっていないからだ、
とすらいえる。


暗闇を想像しよう。
あなたは舞台に立っている。
100人くらいのお客さんが入っている。
顔は全部見えるくらいの人数だ。
あなたはアドリブで、
複数の人物を演じなければならない。
その時に、勝手に喋りだしたとして、
オチまで持っていけるだろうか?

勝手にしゃべるとしても、
この先のことを考えて、
自由にはしゃべらずに、
ストーリーの進行に合うように、しゃべるはずだ。

そうせずに、
勝手にしゃべって、オチが見えてこない、
と困っている状態が、
「キャラクターが勝手にしゃべって楽しいーっうほーっ」
って言っている状態だと僕は思う。


じゃあ、
計画的なことしかしゃべってはいけないのか? 

そうではない。
計画的にストーリーを進行させる会話のように計算しているのだが、
まるで勝手にしゃべっているように言うのが、
熟練した台詞というものなのだ。

その場で初めて思いつき、
その場の感情に流されるように、
その場の空気に飲まれるように、
勝手にしゃべるのだが、
実のところコントロールが効いていて、
ストーリーは進行している、
のように書くのが、正解なのである。

キャラクターが勝手にしゃべりだす、
なんてのは特別な状況なのではない。
それがふつうだ。
ストーリーテラーというのは、
その状態にまずもっていって、
それから進行の会話になるように、
制御しながらかつ勝手にしゃべる人間のことなのだ。

キャラクターが勝手にしゃべりだして追い付けない、
なんてのは最低限の状態にすぎない。

え? 勝手にしゃべらず、
無理やりしゃべらせている?
それは自然な会話ではなく、
段取りっぽい、わざとらしい会話なのだろう。
そんなの下手な脚本でしかない。


まず勝手にしゃべらせろ。
そしてそれを制御しながら、
ストーリー進行できるようになれ。

複数の勝手なやつを制御する、
司会者みたいなやつが必要になる。
人格の分裂でもよくそういう人格が必要になることが多いし、
親戚の集まりでも、
話の中心になる人は、
「〇〇ちゃんはどう?」の振りがうまい人だよね。

そういう風に、話を進めればよいのだ。

あなたは暗闇にいる。
100人の観客を意識せずに勝手にしゃべっていていいはずがない。
100人の観客を意識して、これを見ているのだ、
と思いながら、
勝手にしゃべったような会話で、話を進めていかなければならない。

むずかしいよ。でもそれがいい脚本だ。
posted by おおおかとしひこ at 00:57| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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