脚本添削スペシャルを終えてみて、
間違いなくリライト版のほうが面白いとは思ったが、
この「面白さ」は、
製作委員会を通らない面白さだと思った。
そこが現在の映画の問題点に思う。
オリジナル版、リライト版、
ともに、
「AR侍が出てくる」
「元カウンセラーがいどむ」
「お蔵入りになった映画のキャラ」
「実は侍は狂っていた。そのためにカウンセラーが必要だったのだ」
という、企画書上はまったく同じものである。
リライト版にしかない面白さ、
「テンポよくセットアップがなされる」
「さくらのトラウマの克服こそが真のメイン軸」
「侍のクライマックスは、『人生のやり直し』で、
そこがさくらの人生とクロスする」
「ラストの満足感」
などという部分は、
企画書では書けない面白さであり、
脚本でしか味わえない醍醐味だ。
僕は「製作委員会は脚本を読めない」
と考えている。
もちろん読める人もいるだろうが、
読めない人の方が多いという前提で書いている。
「読める」とは、
「こういうストーリーだと把握する」だけでは足りなく、
「第一ターニングポイントが弱くて、
これって巻き込まれ型じゃないですか?」
と欠点を指摘する程度まで含む。
その意味では読めてないと思う。
だから、
「脚本を読んだだけではなんとなく納得が薄いけど、
それは私の読解力が足りないからかもしれない。
だってみんな良いっていってるし。
でもこれにベットしようかな、どうしようかな」
の背中を押すのは、
人気原作、人気俳優、人気監督などの、
わかりやすい「保証」なのだろう。
つまり脚本は、わかりやすい保証になり得ていない。
逆に言えば、
企画書栄えするものだけもってきて、
詰まらない脚本で、
人気○○を集めさえすれば、
脚本は通り、実制作にうつれるわけだ。
そして大方の予想通り、
そのプロジェクトは爆死する。
大型プロジェクトほどそうなのは、
ここ10年ずっと同じ失敗を続けているのを見ればわかる。
もうそろそろ、
脚本で満足したことのある客が、
映画館にいなくなるかもしれない。
面白い脚本を知ってる客はネトフリへ流れ、
脚本の面白さを知らず、
芸能人のファンがお披露目を見るためだけにいくハコになる。
それは、映画の衰退だと僕は思う。
だからこうして、「面白い脚本の見方」
を懸命に提供してるのだ。
まったく脚本を書いたことがない人にむけて、
ほんとうは書きたい。
しかしそこまで僕は経験を積んでないから、
今のところ書いてる人向けに書いている。
いつか、
脚本の読めない人にむけた、
脚本の読み方をレクチャーできるようになりたいものだ。
で。
製作委員会を通らなければ、
実質映画はつくれない。
お金が足りないからね。
プロデューサーは、その関門の通過だけを考えて企画書を書き、
あとは脚本家と監督に、実質丸投げする。
(もちろん志あるプロデューサーもいると思うけど、
どっちが楽なプロデュースか考えればわかる。
プロデューサーに面白さの責任はなく、
監督におっかぶせられれば、
トカゲの尻尾切りでプロデューサーは生き残れる)
惨憺たる現場を渡された脚本家と監督は、
しんがりを受け持つことになる。
そしてそれはほとんど撤退戦で、
どれだけ損しないか、
でしかない。
我々観客の真の満足は、
AR侍のCGの出来でもなく、
富士山が美しく撮れてるかでもなく、
ゴーグルのデザインが未来的かどうかでもなく、
誰がさくらやカゲロウ役をするかでもなく、
「トラウマに向き合う勇気と、
うまく解決したこと」にある。
これこそが、映画にしかできない満足だ。
だが、
現状は「この満足かどうか」は問われていない。
早々に結論を出すと、
現状の脚本家の仕事は、
渡されたガワに、
満足いく脚本を提出することだ。
そのガワを「裏貼りする」などと僕はいう。
中身を総とっかえしてでも、
ガワをそのままにして入れ替えてしまう。
そうしないと、満足する脚本を書くのが難しいくらい、
企画書のガワが「満足を捉えていない」ことが多い。
僕はこの現状が間違っていると考える。
これじゃ後出しの満足しかなくて、
状況のおっかけにすぎず、
ほんとうの満足を一からつくることが出来ないからだ。
理想は、
満足する脚本がすでにあり、
そこに「売れる」ガワを乗せていくことだ。
たとえば「富士山の侍」の話は、
ARでなくて、幽霊が誰かに憑依した話でも成立する。
その幽霊が実在の侍かと思ったら、
実は映画の中の侍であった、
(たとえば俳優が自殺したでもいいかもね)
という設定でだって、
ほとんど同じことができるだろう。
それを、「これARにしないか? そのほうがウケるぞ。
お金も持って来れそう」
とガワを上手に足していくことが、
プロデューサーの仕事だと僕は思っている。
だがそこまでの目利きは滅多にいないから、
我々はガワと中身を同時に考えるしかないわけだ。
だから結果、
脚本家の負担だけが増えているように思う。
嘆いてもしょうがない。
現実はタフだ。
乗り越えるしかない。
そのためには、
そもそも満足できる脚本を書けなければならない。
どんな土俵が来ても、
満足できる取り組みを創作できるか、だ。
2021年08月01日
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