2021年08月05日

知的かどうかの境目

知識が多くて専門的な判断ができることが、
知的ではない。

感情を知性で制御できるかが、知性である。
注射が怖くてもワクチンが必要だと判断したら我慢するのが、
知性というものだ。

そして、それが知的かどうか、
判断できるのも知性だ。
客観的な事実に基づき、客観的な法則から、
客観的な結末を予測することが、知性だ。

専門家は、知性ある者に向けて、
判断に値する知的根拠を説明するべきだろう。


政府や上級には知性のある人間がいないようなので、
我々庶民は、せめて知的でありたい。

今年も京都に帰れないのか。
もう二年行ってないやな。
この感情を、知性で制御するしかないのだね。

いつかこのバカと知性の話を、
寓話のような物語にしたためたいものだ。
posted by おおおかとしひこ at 16:14| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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