カフェで脳内でどういう風に音楽が扱われているか、
議論している人たちがいた。
音楽関係者だろうか。
漏れ聞こえるうんちくを聞くと、
脳内でメロディーを流せない人が、世の中の半分になるらしい。
ほんまかいな。
曲を思い出すときどうするんだろう。
頭から実際に歌うのかしら。
脳内で頭から尻まで流せないんだな、たぶん。
僕は体育が苦手だから、
たとえば野球でライトを守っていて、
フライがここに飛んだら、こう走って、こう取って、
こう投げる、みたいなことをイメージできない。
慣れた動作、たとえば武術の動作ならイメージできるが、
苦手なものはイメージできない。
スポーツマンや運動神経のいい人なら、
おそらくイメージできると思う。
僕はフライが取れない。
どうやって取るの?と野球部の後輩に聞いたら、
「落ちると思うところに走る」と言われ、
初手から違うんだなあということがわかる。
同様に、音楽が再生できない人がいるんだなあ、
ということはわかる。
それは得意不得意と関係していると思った。
味覚を脳内で再現できない人は、
料理人には向かないだろうし、
嗅覚を再現できない人は、香水の調合師には向いてないだろうね。
言葉はどうなんだろう?
誰かの言葉を一言一句正確に再現できる人がいる。
僕は出来ないが、出来る人はどうなってるんだろうと思う。
僕は意味があってればいいと思うから、
頭の中で意味として圧縮されているのだろう。
その圧縮を伴わず、一言一句が保存されている頭がよくわからない。
(すぐに埋まってしまうのでは?と想像するが……)
僕は脳内で意味が発生して、
それを日本語にするとしたら、
という風に手が動き、
勝手に手が翻訳していくように書く。
言葉自体は脳は考えていなくて、
手が言葉を選んでいく感じ。
違う手があるとして、英語を書く手があったら、
脳内の意味を英語として書くだろう。
(英作文はそうして書いてた。大学卒業してからこっち、
英作文などほとんどやっていないが)
そもそも関西弁と関東弁を書き分けるときは、
手が関東弁デフォルトになっている。
関西弁で文字を書くときは、
脳内発声しないと文字として再現できないっぽい。
なんでやねん、と脳から言葉が出るのではなく、
口をついて関西弁が出てくるのだろうか。
関西弁はリズム重視の言葉だしなあ。
脳に意味だけが存在して、
手が言葉に翻訳する感覚、
というのは、全員がもっている感覚ではないだろうと思う。
一番多いタイプは、脳内でしゃべり、それを手が記録することだろうか。
しゃべる→記録する、が一体になったり、
手が追い越したときに、
指がしゃべる感覚になるのかもしれない。
薙刀式は、僕の脳から言葉が出るのを、
僕の指が書きやすくした配列だ。
一義的にはそれをもっとも効率よく仕上げてる。
それが効率がよいとおもえば、みなさん使ってください、
という立場だと思う。
幸い、色んな人が気に入っているから、
僕だけの感覚ではないと思われる。
はじめました、と言ったきり続報がない人は、
たぶんあきらめた人で、
その差がどこにあるのか、実は知りたいのだ。
3キー同時押し実装が将来的に継続しないのでは、
という懸念で新下駄に手を出した人もいる。
それは分かるけど、その他が良くわからないんだよね。
なんとなく合わない、という人もいるとして、
その感覚の差はなんなんだろう、
と不思議に思う。
でもまあ、音楽が脳内で鳴らない人が半分いるんだから、
人の脳は分らないものだ。
「自分がどうやって文章を書いているのか?」は、
すごく観察がしにくいよね。
意識が文章に向いているときほど観察が無理で、
それを観察できるくらい意識に余裕があるときは、
たいていろくな文章じゃない。
こうやって、思いついたときに観察するしかない。
清濁別置の感覚の人はどうやって書いているのか、
実は僕は想像が出来ない。
もはや反射になってるからなのだろうが、
カナが指に貼りついてる感覚なのかしら。
僕は「か」が左人差し指に貼りついていて、
右手人差し指に「゛」が貼りついていて、
それを同時押しすることでブレンドして「が」になる、
薙刀式の感覚が直観的で気に入っている。
「か」と「が」が別の位置の感覚がどういう感じなのか、
まだイメージできない。
二打系の月も、よくわかっていない。
良く使うのが一打で、マイナーが二打というのは合理ではあるものの、
文章を書くときに手のリズムがばらばらになるのが、
イメージできないんだよね。
絶対ローマ字よりばらばらだろと思う。
月系の文章書きの動画(画面こみ)がないので、
そこもよくわかっていない。
親指シフトはなんとなくわかってきて、
「口で言う代わりに等間隔で同時打鍵していく」をイメージしたら、
なんとなくわかった。
「お・も・て・な・し」の速いやつをイメージしたら分る。
新下駄はそれよりもアルペジオが圧倒的に多いので、
ときどき間を詰めて加速している感覚なのだろうことは、
動画を見てはじめて理解できたことだ。
脳内イメージって、
実はそんなに研究がされていない分野かもしれないなあ。
2021年08月09日
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