2021年08月09日

【薙刀式】脳内でメロディーが流せない人が半分いるらしい

カフェで脳内でどういう風に音楽が扱われているか、
議論している人たちがいた。
音楽関係者だろうか。

漏れ聞こえるうんちくを聞くと、
脳内でメロディーを流せない人が、世の中の半分になるらしい。
ほんまかいな。


曲を思い出すときどうするんだろう。
頭から実際に歌うのかしら。
脳内で頭から尻まで流せないんだな、たぶん。

僕は体育が苦手だから、
たとえば野球でライトを守っていて、
フライがここに飛んだら、こう走って、こう取って、
こう投げる、みたいなことをイメージできない。

慣れた動作、たとえば武術の動作ならイメージできるが、
苦手なものはイメージできない。

スポーツマンや運動神経のいい人なら、
おそらくイメージできると思う。
僕はフライが取れない。
どうやって取るの?と野球部の後輩に聞いたら、
「落ちると思うところに走る」と言われ、
初手から違うんだなあということがわかる。
同様に、音楽が再生できない人がいるんだなあ、
ということはわかる。

それは得意不得意と関係していると思った。
味覚を脳内で再現できない人は、
料理人には向かないだろうし、
嗅覚を再現できない人は、香水の調合師には向いてないだろうね。


言葉はどうなんだろう?

誰かの言葉を一言一句正確に再現できる人がいる。
僕は出来ないが、出来る人はどうなってるんだろうと思う。
僕は意味があってればいいと思うから、
頭の中で意味として圧縮されているのだろう。
その圧縮を伴わず、一言一句が保存されている頭がよくわからない。
(すぐに埋まってしまうのでは?と想像するが……)


僕は脳内で意味が発生して、
それを日本語にするとしたら、
という風に手が動き、
勝手に手が翻訳していくように書く。

言葉自体は脳は考えていなくて、
手が言葉を選んでいく感じ。
違う手があるとして、英語を書く手があったら、
脳内の意味を英語として書くだろう。
(英作文はそうして書いてた。大学卒業してからこっち、
英作文などほとんどやっていないが)

そもそも関西弁と関東弁を書き分けるときは、
手が関東弁デフォルトになっている。

関西弁で文字を書くときは、
脳内発声しないと文字として再現できないっぽい。

なんでやねん、と脳から言葉が出るのではなく、
口をついて関西弁が出てくるのだろうか。
関西弁はリズム重視の言葉だしなあ。


脳に意味だけが存在して、
手が言葉に翻訳する感覚、
というのは、全員がもっている感覚ではないだろうと思う。

一番多いタイプは、脳内でしゃべり、それを手が記録することだろうか。
しゃべる→記録する、が一体になったり、
手が追い越したときに、
指がしゃべる感覚になるのかもしれない。


薙刀式は、僕の脳から言葉が出るのを、
僕の指が書きやすくした配列だ。
一義的にはそれをもっとも効率よく仕上げてる。
それが効率がよいとおもえば、みなさん使ってください、
という立場だと思う。

幸い、色んな人が気に入っているから、
僕だけの感覚ではないと思われる。
はじめました、と言ったきり続報がない人は、
たぶんあきらめた人で、
その差がどこにあるのか、実は知りたいのだ。

3キー同時押し実装が将来的に継続しないのでは、
という懸念で新下駄に手を出した人もいる。
それは分かるけど、その他が良くわからないんだよね。
なんとなく合わない、という人もいるとして、
その感覚の差はなんなんだろう、
と不思議に思う。

でもまあ、音楽が脳内で鳴らない人が半分いるんだから、
人の脳は分らないものだ。


「自分がどうやって文章を書いているのか?」は、
すごく観察がしにくいよね。
意識が文章に向いているときほど観察が無理で、
それを観察できるくらい意識に余裕があるときは、
たいていろくな文章じゃない。
こうやって、思いついたときに観察するしかない。

清濁別置の感覚の人はどうやって書いているのか、
実は僕は想像が出来ない。
もはや反射になってるからなのだろうが、
カナが指に貼りついてる感覚なのかしら。

僕は「か」が左人差し指に貼りついていて、
右手人差し指に「゛」が貼りついていて、
それを同時押しすることでブレンドして「が」になる、
薙刀式の感覚が直観的で気に入っている。

「か」と「が」が別の位置の感覚がどういう感じなのか、
まだイメージできない。
二打系の月も、よくわかっていない。
良く使うのが一打で、マイナーが二打というのは合理ではあるものの、
文章を書くときに手のリズムがばらばらになるのが、
イメージできないんだよね。
絶対ローマ字よりばらばらだろと思う。
月系の文章書きの動画(画面こみ)がないので、
そこもよくわかっていない。

親指シフトはなんとなくわかってきて、
「口で言う代わりに等間隔で同時打鍵していく」をイメージしたら、
なんとなくわかった。
「お・も・て・な・し」の速いやつをイメージしたら分る。

新下駄はそれよりもアルペジオが圧倒的に多いので、
ときどき間を詰めて加速している感覚なのだろうことは、
動画を見てはじめて理解できたことだ。


脳内イメージって、
実はそんなに研究がされていない分野かもしれないなあ。
posted by おおおかとしひこ at 23:06| Comment(0) | カタナ式 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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