2021年08月17日

あたふたしなければならない

人を動かすには、なんらかの危機が必要だ。
危機が迫ってはじめて人は動く。

逆にいうと、安全なら何もしない。


つまり「ストーリーが動く」
「ストーリーを動かす」には、
なんらかの危機がペアだということだ。
ただ動きたいから、
ただ動かしたいから、
ストーリーが動くのではない。

展開を考えるときに難しくなってしまうのは、
ストーリーが停滞しているのは、
危機が足りていないのかもしれない。

つまり、
ストーリーとは、
常にあたふたしていなければならない。

あたふたしてるから、
自分の頭で考え、実行し、
責任を自分で取るのである。



最近知った話。

人の免疫機構って、
どれくらいの病原体を記憶できるのだろう?
なんと100億くらいだそうな。
利根川がノーベル賞をもらったのは、
その研究らしい。

このことは疫学的には常識かも知れないが、
僕は知らなかった。
コロナの危機があって、
はじめて実感が湧く。利根川すげえってね。

100とか200とかなあ、なんてぼんやり想像してたけど、
それを遥かに上回る理論値なのでびっくりした。
無論組み合わせ爆発も数えてるかもだけど。

「人間の免疫機構は複雑である」
とイメージしづらい文よりも、
こうした具体があってはじめてイメージできる。
そりゃ複雑やろ、って思う。

「コロナワクチン注射によって、
これまで獲得した免疫がくずれて、
他の病気にかかりやすくなるのでは?」
という素朴な問いに答えるには、
100億という数字が説得力を持つが、
それも今回の「危機」がなければ、
勉強できなかったことだ。

勉強なんて危機がなければしない、最たるものだろう。

対数関数や指数関数を理解してる人は、
人類の何分の一かは知らないけど、
これが借金の福利計算であったり、
金融の基礎であったり、
感染爆発シミュレーションに使われると知れば、
真剣にもなるだろう。

人間は、そこに危機があってはじめて動くのだ。
なぜなら、動くのはそもそもめんどくさくて、
「やらない言い訳」ばかり探すからである。



ストーリーを展開できないのは、
登場人物があたふたしていないからかも知れない。

あたふたしてるから、
間違いもするだろう。

あたふたしてるから、
緊急事態を言い訳に、普段できないこともやるだろう。
緊急時は無茶な法案も通りやすいものだ。


いま、誰があたふたしてる?

誰もあたふたしてないから、
ストーリーが展開しないのかもよ。

誰かがなにかをしないとヤバイ、
そういう状況がないと、
ストーリーはにっちもさっちもいかないのだ。
つまり、退屈である。


どうしても停滞してストーリーが動かないなら?
雨を降らせてみろ。

何年か先の危機よりも、
人は目の前の危機、「濡れないこと」で行動するぞ。
posted by おおおかとしひこ at 00:11| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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