人を動かすには、なんらかの危機が必要だ。
危機が迫ってはじめて人は動く。
逆にいうと、安全なら何もしない。
つまり「ストーリーが動く」
「ストーリーを動かす」には、
なんらかの危機がペアだということだ。
ただ動きたいから、
ただ動かしたいから、
ストーリーが動くのではない。
展開を考えるときに難しくなってしまうのは、
ストーリーが停滞しているのは、
危機が足りていないのかもしれない。
つまり、
ストーリーとは、
常にあたふたしていなければならない。
あたふたしてるから、
自分の頭で考え、実行し、
責任を自分で取るのである。
最近知った話。
人の免疫機構って、
どれくらいの病原体を記憶できるのだろう?
なんと100億くらいだそうな。
利根川がノーベル賞をもらったのは、
その研究らしい。
このことは疫学的には常識かも知れないが、
僕は知らなかった。
コロナの危機があって、
はじめて実感が湧く。利根川すげえってね。
100とか200とかなあ、なんてぼんやり想像してたけど、
それを遥かに上回る理論値なのでびっくりした。
無論組み合わせ爆発も数えてるかもだけど。
「人間の免疫機構は複雑である」
とイメージしづらい文よりも、
こうした具体があってはじめてイメージできる。
そりゃ複雑やろ、って思う。
「コロナワクチン注射によって、
これまで獲得した免疫がくずれて、
他の病気にかかりやすくなるのでは?」
という素朴な問いに答えるには、
100億という数字が説得力を持つが、
それも今回の「危機」がなければ、
勉強できなかったことだ。
勉強なんて危機がなければしない、最たるものだろう。
対数関数や指数関数を理解してる人は、
人類の何分の一かは知らないけど、
これが借金の福利計算であったり、
金融の基礎であったり、
感染爆発シミュレーションに使われると知れば、
真剣にもなるだろう。
人間は、そこに危機があってはじめて動くのだ。
なぜなら、動くのはそもそもめんどくさくて、
「やらない言い訳」ばかり探すからである。
ストーリーを展開できないのは、
登場人物があたふたしていないからかも知れない。
あたふたしてるから、
間違いもするだろう。
あたふたしてるから、
緊急事態を言い訳に、普段できないこともやるだろう。
緊急時は無茶な法案も通りやすいものだ。
いま、誰があたふたしてる?
誰もあたふたしてないから、
ストーリーが展開しないのかもよ。
誰かがなにかをしないとヤバイ、
そういう状況がないと、
ストーリーはにっちもさっちもいかないのだ。
つまり、退屈である。
どうしても停滞してストーリーが動かないなら?
雨を降らせてみろ。
何年か先の危機よりも、
人は目の前の危機、「濡れないこと」で行動するぞ。
2021年08月17日
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