設定の作り方にはいろいろあるのだが、
大きくふたつに分かれると思う。
開いた設定と、閉じた設定だ。
これは僕の造語だ。
開いた設定というのは、
いったん設定したときに、
どんどん設定が広がりを持つものをいう。
この設定でどんなドラマがあるんだろう、
と予想したり、
この設定の奥には何が隠されているんだろう、
きっとあれではないか、
などと想像したりすることが面白いもののことだ。
一方、
閉じた設定というのは、
「これ以上広がりようがない」場合。
いわば世界の端が見えて、
あとはまとめるのみ、
という状況になっているものだ。
ドラクエのマップなどは、
開いた設定そのものだ。
まだ見ぬ冒険を想像して、
わくわくするだろう。
あの大陸には何があるんだろう、
この大陸にどうやって行くんだろう、
なんてことを考えてしまうものだ。
あるいは、実は地下にも同じだけの広さのものがある、
という追加設定も開いた設定だ。
世界が広がり、そこを探検することを想像することが楽しくなってくるからね。
「世界三大〇〇」という設定も開いた設定である。
「八将軍」とか「四天王」とか「天下七人」とか、
まあなんでもいいよ。
四十八とか七十二とか、昔から日本にはそうしたものが沢山ある。
これに対して、
閉じた設定とは、
世界はとても狭く、すべてを見渡せるものだと思う。
ドラクエも終盤になり、
マップを全部制覇したころには、
すでにマップは閉じた設定に見えているだろうね。
ここからが本題。
映画の設定は、
開いた設定が良いか、閉じた設定が良いか、
ということだ。
僕は、閉じた設定にするべきだと考えている。
というのは、
映画というのは短編だからだ。
映画は二時間ものシナリオで、
書くには大変な労力がかかるものの、
他の長大な物語から比べると、
とても短い部類に入ると思う。
長大な物語というのはたとえば、
単行本何冊、何十冊にもわたる大河小説や漫画を想像すればよい。
それらの長大な物語を書くには、
開いた設定のほうがやりやすい。
風呂敷は広げたほうがやりやすい。
しかし映画は短編だ。
二時間で閉じなければならない。
それを考えると、
長大な物語に匹敵する設定など必要ないということになる。
もっと閉じた設定を全部生かすことのほうが大事だ。
もちろん、前半では開いた設定のように見えていることが大事だろう。
この風呂敷は面白いぞ、と広げることには一定の快楽があるからだ。
しかしきちんと終わらせるには、早々に世界は閉じなければならない。
扱える世界はせいぜいこのへんまでと見極め、
その世界を完結して、
それらにはこのような意味があったのだ、
とまとめなくてはならない。
長大な長編のような、開いた設定は、
映画には必要ないのだ。
(一本で扱いきれないほどの開いた設定をしてしまって、
続編で明かされる部分がある、
なんていうやつがいる。そんなものの続編などないというのに)
一方、長大な長編では、
開いた設定そのものが面白いという場合がある。
いま、そのストーリーが面白い、というとき、
閉じたものではなく、
開いた状態が面白い、
ということを指す場合がある。
たとえば鬼滅の刃では、
柱の十二人が出てきた開いた設定のときのほうが、
ラストの閉じつつあるときよりも面白かった。
そして人気の出た部分は、開いた設定の部分だ。
長大な長編を「面白い」という評価をするときは、
たいてい設定の開き方が面白い、ということを言っているにすぎない。
「面白い」にはたくさんの種類があるが、
長編の面白さとは、開いた設定の面白さである可能性もある。
それは映画の、閉じた面白さとは異なる次元である。
連載中の漫画の映画化が失敗する理由がこれだ。
開いたものを、閉じたものにすることで、
なんだか狭くなって、
しかも使っていない部分がとても余るからである。
映画として面白くなくなるわけだ。
で、漫画というのは、
幸せな完結をすることはほとんどない。
(最近幸せな完結は増えているように思うが)
だから、漫画の面白さとは、
完結したときの閉じた設定ではなく、
途中状態の開いた設定にあるのかもしれない。
開いた設定は、風呂敷を広げつつある状態、
閉じた設定は、風呂敷を畳もうとしている状態、
だともいえる。
映画は、はじまったときから、
すでに狭い風呂敷が決まっていて、
はじまったときから畳むことに邁進しているものである、
ということも出来るかもしれない。
作者はオチは分っていて、
そのオチへ向けて、ずっとまっすぐ行くものだからだ。
(オチが分らずにとりあえず書いたろ、
というパターンでは、いつまでたっても開いた設定しかできないだろう。
そうして最後まで書けない状態になるのだ)
「自分にもどう完結するか分らない設定をする」
のは、少なくとも映画という短編では間違っている。
最初から「ここからここまでの、
ごく狭い世界を扱う」ようにしておくべきだ。
2021年08月18日
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