2021年08月08日

【風魔】鈴木拡樹代表作まとめ

俳優・鈴木拡樹さん、『舞台 刀剣乱舞』『舞台 最遊記歌劇伝』『舞台 弱虫ペダル』『戦国鍋TV』『どろろ』など代表作に選ばれたのは? − アニメキャラクター代表作まとめ(2021 年版)
https://www.animatetimes.com/news/details.php?id=1620877260

僕はずっと追っかけてるわけじゃないけど、
ずいぶんと沢山の役をやってきたんだなあ。
このラインナップの中だと、
むしろ麗羅役のほうが特殊なんじゃないかね。

しかし、
>> 風魔八忍衆は、夜叉八将軍との戦いで

また壬生が人数に入ってなくてクソワロタ。
「俺を人数に入れてないな」は、壬生の一番の名台詞だぜ。

以下鈴木と麗羅の話。


実のところ、麗羅の役は、
分かってれば誰でも出来る役ではあると思う。
一瞬ならばね。
でも長いことぶりっ子をやるとバレるものだ。

ぶりっ子にも幅があって、
バレるぶりっ子とバレないぶりっ子がある。
つまりピュアに見えるお芝居、
というのは意外と難しい。
全員を騙し切らないといけないからね。

騙すというと語弊があるが、
フィクションというのは嘘で塗り固めて、
真実(人間の本質とか、世界はこうなってるとか)を、
語るものだ。
「見立て」こそがフィクションの真実だ。

彼は麗羅役で騙そうなどとつゆほどにも思っていないだろう。
自分の中のピュアな部分で、
麗羅のピュアさを表現しようとしたはずだ。
自分の中になければ芝居はできない。
芝居とはそれを増幅しないとできない。
彼の中のピュア成分が濁っていたら、
麗羅も濁った役になってしまっただろう。


今はどういう立ち位置なのか分からないけど、
あの時の鈴木は新人で、
右も左もわからないから、
素直にハイと聞いて、
何もかも吸収しようとしてた時期だ。
そうした伸び盛り的なことも、
ある程度役には出てるとは思う。

若さとは伸び盛りで、時々暴れて、ひとつところに止まらないことだ。
風魔の魅力もそれに支えられていると思う。
一瞬で通り過ぎたけど、
しかし確実にあった奇跡が、
風魔の風にふさわしい。


青春とは未熟なことだ。
本人だけがその未熟を恥じ、もがき、
脱出しようとしている。
それを通り過ぎた我々大人は、
その恥じることすら尊いことを知っている。
弱点も人間の魅力になるんだよね。

僕はそれを壬生に込めたのだが、
一方では麗羅もそうした役だったわけだ。


同期だけど年下で、
でも先に大人になった男。
微妙にコンプレックスを抱く属性をつけておいたけど、
それが嫌味にならないのは、
鈴木の中にそうした部分があるからだろう。

武蔵との対決、その後の小次郎との場面、
その落差としての焼き芋エピソードは、
市野演出の真骨頂だ。
僕が撮ったらどうなってたろうなあ。
でも10、11、12、13全部やる体力はなかったし、
あり得ない世界線ではあるが。


鈴木の芝居で印象的だったのは、
妖水を倒したあとの場面、
「僕が…はじめて…人を殺した…」
かな。
たしか台本と違う、間違えた台詞のはず。

現場では台本通りの台詞で撮り直したけど、
編集で採用したのは間違えたほう。
そっちの方が、
自分の混乱を抑えきれてない感じが伝わると判断した。
「いつもニコニコしてる/やる時はやる」
という規定の二面性から外れたところに、
真実が出てくるものだ。

こうした「コントロールし切れてない」のも採用するのが、
映像の面白いところだと僕は思う。
役者としてはコントロールし切った芝居をやりたがるだろうが、
その未熟なところも生かしてる演出なのだ。

そういえばそのあと姫子に、
「夜叉八将軍、全滅です!」って笑顔で報告するシーンは、
台本にはあったが編集でカットした。
(メイキングには収録されてたと思う)
上の芝居とテンションが違いすぎるからだ。
屋上の戦いのあとで撮ればまた違ったニュアンスで撮れただろうけど、
撮影は逆順だったので「ふつうの麗羅」で撮ってしまったんだよね。

たとえ逆順で撮影しても、
「この前にはこういう芝居があるから、
ここは普通じゃいられない感じの芝居にした方が…」
なんてことを考えて芝居できれば一流だろう。
僕も屋上であそこまでの芝居が撮れると思ってなかったので、
計算外ではあったんだけど。
そのコントロールし切れてない感じは、
風魔の良さだということにしておこう。

(予算があれば再撮影したいって言えるけど、
もう後半で白羽陣の予算もなかったしな。
9と10はCG使わない回で、12と13に回す調整をしてたのだ)



人間はロボットじゃないんだ。
打ち込み音楽の世界でも、
完璧すぎるタイミングばかりだと不安になるから、
わざとタイミングをずらすテクニックがあるそうだ。
オーケストラは楽団が大きいから、
真ん中と端のほうで音速分厳密には音がずれているらしい。

それをグルーヴをつくる、という言い方をすることがある。
北朝鮮みたいなマスゲームは人間の芝居じゃない。
人間の芝居にはグルーヴがあるのだ。
(もちろんグルーヴはズレだけで生まれるわけではない)

最近の鈴木の芝居は見てないので分からないけど、
「空間全部を支配する完璧な芝居」だけでなく、
「コントロールが効いてないところを楽しむ」ような、
人間のリアリティや面白さが出るような芝居になると、
いいなあと思っている。
それをどこでどう出すかは作家、演出家の考え方次第だろうけどね。

これからも作品に恵まれんことを。
posted by おおおかとしひこ at 10:44| Comment(0) | 実写版「風魔の小次郎」 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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