毎年8/8から8/9の朝にかけて、
風魔を一気見するのを自分一人でやっている。
今年も堪能した。
#2の朝校門に入ってくる小次郎の後ろにいるエキストラ(坊主の男)、
#9の誠士館側の将棋部の一人だよね?
ただ歩くだけから台詞もらえたんだねえ。
(劇中ではその後人質を取られて転校したのか…)
なんか最近邦画や日本のドラマに希望が持てないんだけど、
こんなに面白いものをみんなで作れたんだから、
また作れるよね、って思ってしまった。
この謎の中毒性というか爽快感はどこから来るんだろう。
誰か解説して。
シェフとしてはレシピを理解したいわ。
あらためて見てみると、
#1〜4は、
まだ「漫画の実写化」なんだよね。
原作と比べて、ここが違う、
ここにアレンジが入ってる、なるほどね、
と比較しながら見ている。
項羽と小龍の膨らませによって、
ああだいぶ深く入ってきたな、
と満足があったあとの、
小次郎の「本当に人が死んでいくんだ」
がすごく効いてる。
ここで、漫画から実写になるんだよね。
#9の「警察に相談した方が」とか、
#7の「コンビニの釣り銭」とか、
#10のスクランブル交差点とか、
トンデモ漫画原作のくせに、
ちょいちょいリアリティをぶっ込んでくる。
その、漫画のはずなのに、
人間ドラマになってるこの感じが、
このドラマにしかない距離感で、
そこがとてもいいと思った。
無名の役者というのもすごく効いてて、
芸能人の誰々ではなくて、
小次郎として、武蔵として、姫子として観れる。
(もちろん年上組はキャリアがあったけど、
かけもちするほど売れてないから、
役にどっぷりはまってる感じがとてもよい)
全員が当たり役な感じすらした。
当時の感想に、
ラストのエンドロールは交響曲のようである、
というのを見たと思う。
全員が欠かせない楽器として、
全力で奏でた交響曲が、
風魔の13話に詰まってる。
今回印象に残ったのは、
蘭子さんの「だが油断するな。武道に終わりはない」と、
「飛び道具はいずれ尽きるもの!」だ。
なんだかんだいって、俺蘭子さん好きなんだなあ。
(そういえば原作では、鞭は一話しか出ず、
武道指南役設定もさっぱり忘れられてるだろうね)
#6の「前からあれぐらいおかしな男ですが」
という真面目なのにボケになってるところもよい。
ラスト3話の盛り上がりは素晴らしく、
もう休憩なしで見てしまう。
俺たちはまだ、
世の中に暖かい風を吹かせることはできるはずだ。
一つ所に留まらず、常に形を変え続けることでね。
たくさんの名言が詰まった、
ドラマにしかできないドラマだった。
もっと評価されていいドラマだと思うな。
2021年08月09日
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