風魔はなんだか中毒性があって、
どことなく漂う寂寥感があると思う。
虚しさやもののあはれとは少し違う感じ。
死を日常にした忍者もの特有のものかも知れない。
だが風小次を忍者もののカテゴリーにするのは、
ガッチャマンを忍者ものと言い張る程度には乱暴だとは思う。
とはいえ車田漫画の中では、
生き返らないし殺し合うし、
生活が一切描かれないしで、
車田忍者ものというジャンルにはいると思う。
(原作の中で「生活」が描かれたのは、
姫子の夢を見るシーン、
偽項羽が寝所に忍び込んだ悪ふさげシーン、
喫煙してるヤンキーに武蔵が聞きにくるシーン、
武蔵が寺に寄宿して銅像を彫ってるシーン、
くらいだろうか)
だけど忍者もの特有の殺伐とした感じや、
無常感が風小次にはない。
乾き切った感じにならない、
常に濡れた感じの車田絵だからかも知れない。
(感情はドライかも知れないんだけど、
絵がウェットなんだよなあ)
ドラマでは、
ただバトルをしてるだけだと予算がなくなる制約と、
「あいつらの日常を垣間見たい」というふたつの条件から、
忍者ものでありつつも、
学園ものとしても解釈を広げた。
柳生屋敷は合宿の感じだし、
部活から離れないようにしたし、
白凰学院は常に真ん中にあるようにした。
EDが秀逸で、
「もし彼らがただの高校生だったら」
あり得ただろうワイワイを、
うまく描けていると思う。
つまり振り幅だ。
次々死んでいくことは変わりないから、
その悲劇に対して、
カウンターで楽しい感じを当ててるわけだ。
そこで楽しければ楽しいほど、
学園生活が楽しいほど、
その後の悲劇が引き立つわけだ。
でも麗羅以外は、原作同様ドライに死を描こうとした。
それは当たり前であると皆は考えていると。
小次郎だけがそれを納得してなくて落差を出した。
つまりドラマは、
それを小次郎が納得するまでの話だともいえる。
主人公の変化こそがドラマだからね。
変化しないストーリーは実写的なストーリーではない。
漫画のキャラは変化しない事が多いけど。
(そのへんは監督メモにも書いたか)
ウェットな死、ドライな死を繰り返しつつ、
ドラマはそれを納得するまでを描くわけだ。
だから、最後のほうはとても寂しい。
子供が成長した親の気持ちに近いのかな。
手元を離れてどこかへ小次郎が行ってしまう感じ。
でも振り返れば、わちゃわちゃした風魔たちがすぐそばにいて、
それってなんか卒業式に似てるなと思ったんだよね。
原作の二次創作でも、
全員が揃ってるところを描きがちだと思う。
五人衆に減った前提で書かないと思う。
やっぱ全員集合が基本の考え方になってて、
それってクラスみたいな感覚に近いと思う。
学園ものと相性がいいのはそうしたことだろう。
仮に衣装が学ランじゃなかったとしても、
おそらく学園ものに出来たのではないかな。
(チームものは学園ものにできる。最近だとハイスクール鬼滅学園か)
その楽しかったクラスから、
卒業しなければならない朝、
みたいな感覚が、
ドラマ風魔の持つ、充実した寂寥感ではないかなあ、
と僕は思った。
僕は大阪の中高一貫六年式の男子校出身だ。
(だから風魔のわちゃわちゃ感はいつも通りのノリである。
女子がいるとやりにくくてしょうがない。
EDで蘭子姫子に乱入されるのはそんな感じ)
卒業式の日、なぜ明日からもう来なくていいのか、
よく分からなかった。
なぜ成長しないといけないのか、
理解が追いついてなかった。
それほどに男子校六年というのは楽しかったのだ。
その充実した記憶と、
次々に死んでいく忍者ものとの、
融合したアンビバレンツな感じが、
風魔の最終回に起きる卒業式の感覚なのかもしれない。
原作にこの感覚はない。
生活感がなく、ただのバトル漫画だからね。
う!なにい?!ガカァってやってるうちに終わってしまう、
通り過ぎて何も残らない漫画だ。
なんでこれに夢中になってたのか分からないけど、
それはやはり通底する忍者もの共通の寂寥感が、
なんだか魅力があったからかも知れない。
ドラマ版はそれを、もっと卒業式方向に振ったものだ、
という考え方が出来るなあと思った。
見終えてみると、
なんだかんだでみんなが揃ってるOPやED、
初期の頃のわちゃわちゃが楽しく思い起こされる。
それは現在ではなく、手の届かない過去だ。
初見の頃は、「いっぱいいすぎ」と思ったり、
「誰が誰か区別つかねえ」と思ったり、
「夜叉はイロモノだからまだ覚えられるが、
風魔が区別つかねえんだよな」
なんて思ってたはずなのに。
それも含めて、卒業式に感じる感覚に似てるなあ、
と思ったんだよね。
ドラマ風魔は卒業式に感じるあの感覚を、
通してみることの出来るドラマ。
そんな風に考えることもできて、
そりゃ中毒性があるのでは、
などと考察してみた次第。
これは女子も同様に感じるのかな。
男女を逆にして女子校にしてみると、
それはそれでわかる感じはある。
(AKBや坂道系のグループアイドルものでは、
加齢による卒業ばかりで、
充実した卒業式がなかなか得られないね。
その後活躍してる人もほとんど見ないから、
賞味期限切れが卒業の条件みたいになりつつある。
アイドルを題材としたアニメでは、
グループから卒業したりするんだろうか。みてないが)
ドラマ風魔は、原作風小次を、
卒業式に感じるあの感覚を得られるように、
膨らましたものである。
そのように、今回僕は見終えて思った。
終わってみればあんなことやこんなこともあったけど、
なんだか良かったね、ってなる感じ。
ほんとは沢山死んでるし、
高校一つ潰れてるし(校舎解体するらしいし)、
そんな爽やかな状況ではないはずなのにね。
リアルタイムでは、
まだ延長線上に舞台版があって、
卒業旅行にまだいくぞ、って感じだったろうか。
全部が終わって、風魔ロスになったあの感覚を、
思い出すなあ。
この良さが聖剣戦争編では出ないだろう。
カオス学園にすれば出たりして。
学園忍者ものにするのか、
コズミック忍者ものにするか、
聖剣戦争編をつくるならば、
決断しなければならないだろうね。
一つ所に留まらず、常に形を変え続ける。
自分で書いた台詞に、僕は今日も勇気を貰っている。
2021年08月09日
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