2021年08月26日

キャラクター優先は出オチになりがち

キャラクターを優先してつくっていくと、
どうしても展開にパターンが出てきてしまう。


そのキャラクターの動機や目的を描く

達成

しかしまだ不十分

つづく

が基本プロットだとしよう。
しかし、キャラクターを深くつくればつくるほど、
中盤が難しくなる。
試行錯誤しているよりも、
すぐに結末が見たくなるからである。

だから、話を続けるときに、
別のキャラクターの事情を入れ込んだり、
過去を入れ込んだり、
あるいはトラブルメーカーによって横やりが入り、
引きのばしがあったりする。
大体このみっつのパターンしかないのか、
ってくらいに、
キャラが増えては同じことを繰り返す。
つまり、キャラクター優先ものは、
キャラが増えていくことしかしていなくて、
メインプロットに戻ってきたら、大体話が終わりだということになってしまう。

それは避けるべきである。
出オチだからだ。

出て、何かして、おしまい、
の「、」の部分に、
他キャラクターの同じことや、
引きのばしが入っているだけの構造になりがちなのだ。

そうではなく、展開をつくらなければならない。
つまり、
問題を解決しようとしたのだが、
それは失敗に終わり、
事態はよりややこしくなるとか、
いったんは解決したが、
しかしもっと複雑な要素が絡んできて、
問題はよりややこしくなったとか、
ひとつの焦点しかなかったものが、
複数の焦点に増えたとか、
あちらを立てればこちらが立たずの状態から、
一本に絞れた、とか、
そうした事態の展開をつくらなければならない。

キャラクターを優先してつくっていると、
そうした全体の骨組みまでつくる余裕がなくなる。
出た、解決した、
という単純なプロットしかつくれないからだ。

キャラクターに寄り添うことは重要だが、
それによってストーリーが単純な出オチだけを繰り返すものや、
無用の引き延ばしによって退屈するものになってはならない。

漫画「はじめの一歩」は途中まで神作品だったが、
宮田との対決がなぜか延期になる露骨な引き延ばし以後は、
どうでもいい糞漫画になり下がった。
別に対決しても良かったじゃないか。
三回目の対決、四回目の対決へ、
「展開」するべきだったのだ。
出オチとは、「会ってしまったらおしまい」ということでもある。
会っただけでは終わらない、
第二ラウンド、第三ラウンドを用意して、
重層的な展開を作っていくべきなのだ。
キャラクター優先だと、
そこまで考える余裕がないように思う。
気を付けられたい。
posted by おおおかとしひこ at 00:33| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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