今でも覚えていること。
僕はずっと学生映画をやってきた。
中二で初めてベータビデオでカンフー映画をつくり、
大学で七年ほど8ミリフィルムをやってきた。
だからCMプロダクション演出部
(当時は100%35ミリフィルムを使っていた。倍率は100倍くらい)に合格して、
関西を捨てて東京に出てきて、
今日から出勤だ、今日からプロの毎日が始まるのだ、
と小さな鏡を見たことはよく覚えている。
まだ試用社員(本採用は秋だよね)にすぎず、
ペーペーの新入社員のくせにね。
まだ助監督にもなっていない、スーツで研修の時期だというのにね。
でも「俺は今日からプロといっていい」
という自覚は大事だ。
どうしてもなりたかったんだから、
それは誇っていいのだ。
それから二十年、
プロとしての朝を毎日迎えてきた。
慣れてくれば、ただの日常だとわかる。
アマチュアとしての朝も同じだろとわかる。
でも、「おれはプロだ」という自覚は、
若いときにはとても重要だと思う。
まだやったことのないことが多く、
海は広いからだ。
二十年もやれば、大体は予想がつくようになり、
おれはプロだとイキらなくても、
「まあなんとかなるよ」と思えるようになる。
そうなるのが、
ほんとのプロとしての朝のような気がする。
それくらい、経験を積まれたい。
昔からある言い伝えに、
書いた原稿を積み重ねて、
身長を超えたころにデビューだ、
という話がある。
入社してから、僕はそれくらい企画を書いたものだ。
当時は段ボール二箱は書け、といわれていた。
身長を超えてからデビューしたかどうかは覚えていないが、
勝手にはじめた小説の原稿は、
そろそろ身長を超えそうだ。
プロとは自覚のことだ。
自覚するには、自負や自信や裏付けがいる。
身長を超えるだけの努力が、その柱になるのだと、
昔の人は思ったのだろう。
2021年08月28日
この記事へのコメント
コメントを書く