2021年08月29日

じゃあ逆にどう「すごい」?

先日、
すごいと言われるものではなくて、
おもしろいと言われるべきものを書くのだ、
と書いたが、
逆に、すごいものを書きたい時は?

どうすごいかをプレゼンしてくれたまえ。


私の到達したこのすごいものを、
是非とも皆に分け与えたいとか、
誰もまだやってないすごいやつで、
ぶっちぎれるぞとか、
それはそれで人類の進歩のひとつである。

じゃあどうすごいのか、
是非説明してくれたまえ。

そうだな、大体三行ぐらいでいいぞ。
もちろんオールネタバレ前提で、
的確に解説してくれたまえ。


どんでん返しがすごい、だけだと伝わらないから、
どう凄いどんでん返しなのか説明してくれ。
どう騙す仕組みが凄いのか説明してくれ。

「最初から出ていた登場人物は、
実は全員いなかった」どんでん返しは、
たとえばすごいけど、
これ自体は他の映画にも存在する。
オリジナリティがあってすごいわけじゃない。

だとすると先行する○○○ではこうだったが、
今回のすごさはこれに加えてこうなのだ、
と解説することが増えるだろう。

魅力的なキャラクターがすごいなら、
その魅力をうまく三行ぐらいで説明してくれ。

すごいシンクロできて身にしみるのなら、
その凄さをうまく表現してくれ。

なぜ凄いのかを、
それを見てない人にむけて、
完全ネタバレで解説してみてくれ。

そのことによって、客観的に検証できるからだ。


それと同じ凄さは過去にあった、
その凄さなら他にもっと凄いのが○○にある、
その凄さは△△の範囲に限定的だ、
いや、そんな凄さは今までなかったぞ、たしかに凄い、
以前に似た凄さはあったけど、もう20年前だから、
相対的に今すごいね、
などのように、
他人による評価が可能になる。


凄さを目指してはいけないわけではない。
ほんとうに凄いならば人類の進歩であり、
あなたは人類の歴史を一歩前に進めた偉人である。

だとすると、それが本当かは、
他の人によって検証されるべきである。

100m走で記録を出したら、
そこにチートはなかったか、ドーピングはなかったか、
追い風は、などの客観的検証を経て、
たしかに凄いと確認される。

新しい方程式を証明したら、
その証明の検証を世界中の数学者がやる。
本人だけが主張した正しい証明などない。
(たとえばラマヌジャンの奇妙な公式群は、
本人だけが正しいと思っている擬似科学と思われたが、
のちに他人に証明されて、
ラマヌジャンすげえってなった)

他人によって検証する手段がないのなら、
あなたひとりの幻影である可能性が高い。

おれのちんぽはデカいんだというならば、
定規をもってこい、写真を撮れ、ということだ。


あなたの創作物が凄い可能性はある。
だけど、あなた個人の主張にすぎず、
たいして凄くない可能性もある。

それを、全部読むことなく確認できるように、
誰にでもわかるように三行で解説してみてくれ。

(もちろん、その三行のことが本編になかったら、
あなたは詐欺師として一生後ろ指をさされる。
「復興五輪」「コンパクト五輪」
「コロナに打ち勝った証としての五輪」
「安心安全の五輪」「バブル方式で安全」
とかだ)


ほんとうに凄いものはめったにない。
だから凄いものは価値がある。

また、あなたが凄いと思ってなくても、
他の人から見たら凄いと思うこともまれにある。

まずあなたの主観からはずれるために、
客観的に凄さを解説してほしい。

それでも凄いとき、
凄いものができてるだろう。
それは価値があるから、どこかで発表しなさい。
posted by おおおかとしひこ at 00:09| Comment(0) | 脚本論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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