貞本版だけでなく、元のTV版からある問題。
3つの要素を、うまく使いこなせなかったことが、
エヴァの最大の問題だろうと思った。
以下ネタバレで。
1. アスカの精神崩壊
2. レイの死と、「三体目のレイ」
3. カヲルの死
どれも「覆せないポイント」だから、
シナリオ構造上は、
プロットポイント、ターニングポイントである。
だから、
この「覆せないこと」に対して、
どう行動するか、
それにどのような意味があったのかを、
のちの行動で意味付けることをしなければならない。
これについて、
TV版では何もフォローがなかった。
アスカは狂って退場したままで、
前のレイは死に、今の別物のレイがいて、
「シンジのレイへの想い」は、
中途半端に喪失したままだ。
カヲルは一体何だったんや、
に対する答えも特にない。
本来、これらのことは、
「戦いとはこのように過酷なものだ。
だから、そうまでして戦いに勝利しなければならない。
なぜなら、
我々人類は守るべき価値があるからだ」
などのような、
「意味」が付与される。
エヴァのテーマがそれでないのは明らかだが、
いずれにせよ、
「何のために死んだのか、
それに何の意味があったのか」に、
物語は答えなければならず、
それがテーマにつながる太い糸になるべきである。
ところが、
「ただびっくりするだけの、ひどいイベント」
でしかなく、
この3つは発散する事件でしかなかった。
(進撃の巨人の、マーレ以後の停滞やぐだり、
ベルセルクにおける蝕の意味の未完ぶりと、
同根だ)
もっとも、
エヴァの時期は阪神大震災やオウムなどがあり、
「生きる意味なんてあるんですか?」
ということが問われた時代背景があったことは否めない。
だとして、
「意味がないんですよ。あはは」
でいいのか?
という話だ。
僕は良くないと考える立場で、
その時代に対する答えを、
物語は先に示す義務があると思っている。
作家というのは鉱山のカナリアのようなもので、
人類より先に気づく役目があると僕は考えている。
「人生に意味などないのだ」を知るために、
わざわざ物語を見るだろうか?
「人生に意味があるのだ」を知りたくて、
人は物語を見るのではないか?
しかしTV版エヴァは、
「ただの残酷ビックリショー」として、
この三つのイベントを通過してしまった。
ただ悪意を撒き散らされて、
私たちが傷つくだけになってしまった。
我々がエヴァ完結を黙って待てたのは、
これらを含むいろんなことの、
意味を最後につけてくれるだろう、
と期待したからである。
それほどこの三つは衝撃的で、
それをどう扱っていいか、
私たちの中で宙ぶらりんになったままだった。
僕は新劇を見ていないので、
以下貞本版でチェックしてみる。
1.に関しては、アスカの劇的な復活劇で胸をすくような活躍があった。
絶体絶命のピンチにシンジがかけつける、
王道シーンも見れたのでよし。
ラスト、全員記憶をなくした?状態で、
再びシンジと出会う救いがあったのもよかった。
2を置いといて先に3から行くと、
カヲルと出会った時のエピソード、
「猫を首を捻って殺す」を、
同じやり方でシンジが葬ったのもよい。
ゼーレが放った刺客で、
すべては人類補完計画のためであったのだ、
となり、ベクトルがゼーレへ向かうのも良くできている。
12使徒が全滅したターニングポイントで、
「あとは人類補完計画の全貌と阻止」に焦点が向かうから、
ここからが三幕であるということにもなっていてよい。
カヲルが人造人間にすぎず、
レイと同様かもしれない、
ということについては、2をどう扱うか、
ということに集約する。
人造人間に魂が宿ってしまったら、
それは人間だろうか?
というテーマは、フランケンシュタインから、
昨今のクローン系技術まで
(猿に人間の脳細胞混ぜたらIQあがったとか、
IPS細胞からつくった脳に脳波が生まれたとか、
ヤバい実験が最近ホットだが)、
古典的なテーマだ。
カヲルは最後に個人になれた、
レイはどうか、ということが焦点になったと思う。
だが、三体目のレイが、
「手を繋ぎたい」と、先代のレイの記憶があることから、
もうこのレイでいいじゃないか、
というところまでストーリーは行けた可能性があった。
でも巨大化をしなきゃいけない、
ストーリー上の制約があったのが惜しかった。
肉体と魂を分離して、
巨大化レイと、四体目のレイに分離すれば、
このモヤモヤを回避できたと考える。
つまり、
貞本版では、
最後のレイ以外は、
わりとうまく解消していると感じたのだ。
だから、
「まとまっている」と感じるのだと思う。
ただ、
問題の、
それほどまでして戦わなければならない、
阻止するべき人類補完計画が、
ゲンドウがユイに会いたいがためという陳腐な理由だけでは、
かなりの拍子抜けになってしまい、
前半と後半が繋がっていない印象を受ける。
お前、嫁に会いたいがためにあんなに偉そうにしてたのかい、
ということだ。
エヴァは、
最初におもしろげな設定だけがあり、
物語の展開、結末、真相などは、
つくりながらつくっていった感が強い。
だから出来もしない伏線だけが、
膨大に投げられてしまった。
「なんだか面白そうなのに、なんにもならなかった」
ものの残骸だらけなのだ。
それって何かに似てるね?
そう、あなたの「最後まで書けなかったシナリオ」にだ。
最後まで書けないシナリオというのは、
とてもエヴァ的な作り方なのだ。
そのテーマのためならその前振りいらなくない?とか、
このフリに対して、ケツのこれをブックエンドにする、
などの計算が立っていないまま、
ライブ感だけで走らせたシナリオなのだ。
これはファイアパンチでも散々批判したので、
繰り返さない。
このやり方では、
「満足する、円環の閉じる、意味のある物語」は、
決して出来ない、というのが僕の考えだ。
貞本版は、
こうした原作の破綻の最大の3つを、
2.5ほど補修することに成功した、
リライトの見本のような版だと思う。
新劇がどうなってるかはのちにチェックするとして、
マリとくっついて終わりとかを聞く限り、
「やっぱ無理でした」が待っている気がする。
シナリオ工学的には、
だから貞本版はかなりの高ポイントだ。
余計な副読本なしで完結できてるのも、
素晴らしいと思う。
シナリオライターがいるのかな。
貞本が全部やったのだろうか。
エヴァが結局はどういう話だったのか、
全貌を知りたい人は貞本版がよい。
で、
全貌が分かってしまったからこそ、
やっと問えるのだ。
「エヴァっておもしろい?」って。
あんまり面白くなかったね。
つまり、エヴァの「おもしろさ」は、
「全貌が明かされていない状態の、
ヒキの強さ」でしかなかったのだと断言できる。
幽霊の正体見たり枯れ尾花だ。
結局面白くない話だ、
がバレるのを恐れて、厨二ワードを足しまくって、
あとに引けなくなった破綻。
それがエヴァの正体だろう。
若気の至りそのものだ。
「あなたを一生幸せにします」って言ってすぐ離婚するやつと、
同じだぜ。
もし新劇版がこれを超えてるならば、
是非見たいので誰か勧めてください。
2021年08月23日
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