貞本版だと、物語の構造がものすごくわかりやすい。
・サードインパクトを制御して、
人類補完計画を行うゼーレ
・ユイに会いたいがために、
ゼーレに従うふりをして、
独自の行動を起こすゲンドウ
・ゲンドウに従うことがアイデンティティだったのが、
シンジによって人間の感情に目覚めるレイ
・加持が好きだが、
試験管ベイビーというアイデンティティに苦しむアスカ
・リリスに触れたくてやってくる使徒
・二重スパイである加持
・加持思いのミサト
・母と同じ男を好きになり、いいなりのリツコ
・巻き込まれ型でエヴァのパイロットになったものの、
父と距離を置き、ユイはエヴァの中にいることを知り、
皆を救うために闘うことを選ぶシンジ
(ずいぶんマザコンの話だなあ)
という、
9人のプレイヤーと動機がはっきりとわかる。
これらが絡み合い、
使徒を毎回撃退する前半戦、
人類補完計画阻止とNERVでの物理戦闘が、
後半戦という、
大きな縦軸の中で動いている構造が、
とても分かりやすいと思った。
特筆すべきエピソードはふたつあって、
息の合わないアスカとのダンスの練習で、
双子型の使徒を倒すシンクロについての話と、
番長型の友達鈴原が四人目のパイロットに選ばれるが、
使徒に侵食され、殺さなければならない話だ。
この二つは貞本版でも採用され、
戦闘の過酷さ、人間同士の絆の描写において、
ストーリーを一段深くすることに役立っている。
それがゆえに、
前半戦のターニングポイント、
アスカの発狂と、(二体目の)レイの死(と三体目の登場)は、
これらの9人のプレイヤーを2人失わせることになり、
ストーリーの根幹を揺るがせるものであることがわかる。
で、その先をうまく描けるかどうか、
分からなくなってしまったので、
カヲルという新キャラに頼る、
一番の悪手に出たことがわかるわけだ。
カンフル剤は、切れた時に余計痛みが強くなる。
カヲルが最後の使徒であり、人造人間であり、
シンジが子猫のように捻り潰した、
盛り盛りの話が終わった後、
「で?」のオンパレードになってしまう。
だからもっと強いカンフル剤、
物理戦闘をNERVで起こすしかなくなる。
ストーリーの自滅を見ているようだ。
加持の正体を知り、
遺志をつぐために目覚めるアスカとか、
三体目になったとしても、
前のレイの記憶が混入して、
シンジとあったことを覚えているレイとか、
いかようにも「9人のプレイヤーの物語」を継続することは可能であった。
加持の退場はストーリー上しょうがないことで、
そのためにゼーレが黒幕として浮上してくるので、
あとは8人のプレイヤーの物語として、
後半戦を進めれば良かったのだと、
この構造を見ればわかる。
ミサトが遊撃手の立場になっているから、
おそらく彼女が立ち回れただろう。
(加持のキスでデータをもらって以後、
活躍が微妙になってしまって、
最後にシンジを逃すしか見せ場がなかった)
このあたりをうまく修復できれば、
貞本版はより「完全なストーリー」になると思う。
だけど庵野版とさらに乖離することになり、
それは許されたのかという問題も残るがね。
今回貞本版を読破したことで、
全体のシナリオの問題点がよく把握できた、
というだけのことだ。
レイの巨大化のインパクトは面白いけど、
滑っていると思う。
どうして物理的にそんなことが出来るのか、
よく分からないしね。
超常現象ですむんなら何でもアリになってしまう。
また、人類補完計画という
「心の壁を取り去り、ひとつの概念になるのだ」
というとろけそうなアンチテーゼに対して、
人のエゴや個人性は強いのだ、
という納得のいくテーマに帰着しなかったのが、
物語構造として最大の欠陥であろう。
手を繋ぐ温かい瞬間は、寒くないとわからない、
というような落とし方にすれば、
レイとシンジのエピソードが効いてくるはずだが。
そもそも論だけど、
アスカとのシンクロ戦のあと、
もう少し学園ものとしての路線を続けていれば、
「他人との共生の素晴らしさ」を伏線として描くことが出来たはずだ。
それをやれなかったことで、
アンチテーゼだけがあり、
それに再反対するテーゼの説得力の弱さが目立つ。
結局「人類補完してよいのでは?」
という欲望に抗うだけの素晴らしいテーマを、
この物語は構築できなかった。
そこが物語としての敗北だと思う。
エヴァの物語的欠点は、
9人のプレイヤーで語られる規模の情報量よりも、
はるかに大きな情報量をどんどん追加していったことにある。
アダムとリリスの話はまあいいとして、
他にたくさんのたくさんの設定を盛り盛りにして、
処理し切れない設定の山を盛ってしまって、
整理し切れなくて放り出したことにある。
これはよくある「終われなかった物語」の特徴だ。
これを回避するには、
盛ったところを削り、
もともとどういう基盤があったのかを掘り起こし、
それらだけでものごとを進めることだ。
つまり追加設定をすべて切るところから始めると良い。
貞本版はこれが適切に行われており、
主骨格を失わないまま、
うまくストーリーを語れていたと思った。
貞本版によって、
エヴァが何をしたかったかはわかった。
しかしそれがよく出来ているとか、
なるほど素晴らしい話である、
というわけでなく、
単なる不完全で出来ていない物語でしかなかったことを、
ようやく理解できた。
僕は35年くらい前、
似たような「不完全で出来ていない物語」に出会い、
夢中になったが結論は放り出されたまま、
という体験をしたことがある。
まさに中二のときで、
その名を「幻魔大戦」という。
なるほど、エヴァは90年代の幻魔だったのか、
そりゃパワーだけがほとばしるだけで、
まともに終わらんわ、
という理解をすることになるとはね。
どちらも厨二を夢中にさせる要素ばかりで、
厨二というのは、
完結しない宿命にあるのだろうな。
その代わり猛烈なエナジーだけが迸っていると。
僕は物語作家として、
この白熱したエナジーを、
きちんと完結したひとつの世界にしたいと考えている。
風魔の夜叉編に関してはそれに成功したと思う。
まああとは勝手に自作しますが。
2021年08月24日
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